ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

何も変える必要はない

先日は、病院の定期検診がありました。

検査前の数日間は体調があまり良くなくて、特に息苦しさと股関節痛がありましたが、

主要マーカーの目立った増減は特になく、レントゲン検査も特に悪化もなく、そのまま現在の薬を継続することになりました。


ですが今回、実は検査する前後で焦燥感がありました。


それは昨年のちょうど今頃に、腫瘍マーカーが上がり始め、同時にだんだん息苦しさや痛みで動くのも困難になっていましたが、今回はそれを思い出し、今後また同じことになったら、、と未来への不安からきたものだと思います。


昨年の今頃は、治療と同時に高名な先生のもとで整体を学んでいて、この調子できっと癌も寛解になるはずと信じていた矢先、腫瘍マーカーが上がり始めました。

それを機に、天風会に入会したり、心理の本を読みまくったりと、手当たり次第に現状を乗り越える方法を探していましたね。。


その時の私は、私は欠けている。だから足りない何かを獲得する必要がある。と思っていて、

知り得たことは一つも逃すまいとメモを取って読み返したり、自分のどこが良くないのか、何が病気になる要素なのか、長い会員歴の方や整体の先生に質問を沢山してました。

『溺れる者は藁をも掴む』ということわざにぴったりな心境でした。


でも、誰かの意見を取り入れ、無理にポジティブな性格に変えようとしたり、何かを始めて足りない知識を外から埋め合わせても、繕えば繕うほど自分の本来の性格から遠ざかっていき、どんどん不自然な自分なるような違和感を感じていました。。


ところで、素直な人は病気が治りやすいと言われています。例えば、癌は、◯◯で治った!という話をサバイバーの方々から耳にすることがあります。◯◯は、食事だったり何かの治療法だったり、サプリだったり。。おそらくそれで治った方は、その効能を心の底から何の疑いもなく信じ切れたからなのだろうと思います。(プラセボ効果は薬以上の効果があると言われてますしね。)


でも私は天邪鬼な部分があります。新たに始めるものに対して最初は熱心に取り組んでも、後から矛盾を見つけてしまい、だんだん疑って信じられなくなってしまいます。

この時も、いくら新たな情報を見つけても、すぐさま矛盾を感じ、真実だとは思えなくなっていました。

(矛盾を感じるのも当たり前で、この時は、全ての物事には対極するものが存在するということに気づいてませんでした。)


そんなある時、外から取り入れるものに対して疑いや違和感を感じるなら、内側にいる本来の自分に確信をもつしかないのでは?と思うようになり、さらには、”内にある自分の本質は何一つ変える必要がない”ことに気付きました。



それで、今日のお題の『何も変える必要はない』です。(前置きが長くなりました🙇‍♀️💦


上記に書いた通り、これまでの私は、癌の検査結果に右往左往して新たに何かを取り入れようとしていましたが、

今回はそのことを改め、冷静になり、新しいこと取り入れるのではなく、今まで体験し、学んできたことを振り返り、今溜め込んでる感情を洗い出して整理することにしました。

たとえば、今回の検査での焦燥感、日々の人間関係で引っかかる出来事、などです。


不思議と数日前から続いてた息苦しさや股関節痛が柔らいでいます。



考えてみると、

何かを変えても変えなくても、

何かを頑張っても頑張らなくても、

何かを持っていても持っていなくても、

たしかに身にまとう装備品が変わるけど、

私は私のまま。

学歴、職歴、所得、資格、才能、地位、知識、身分、性別、所有物、容姿、健康状態、、

これらは装備品であって、自分の本来の姿は何も変わるはずがないんですよね。


外から得られる情報は、ただ内にあるものを気づかせてくれているきっかけやメッセージで、答えそのものはきっと自分の内側にある。自分を信じていれば、きっと何が起きても大丈夫なんじゃないかと。


これからの出来事も、たとえ辛いことであっても、深く自分を知るためのきっかけであり、それはより自分らしく生きるために起きていることだと捉えていけたらいいなと思います😃