ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

宗教での思い出①

実は私は子供の頃から、手かざし系と言われる宗教の一つである世界真光文明教団に30年近くいました。

ちなみに、真光には大きく分けて、崇教真光世界真光文明教団があります。元々は同じ団体でしたが、分裂して今は別の団体です。

 

ここ最近、安倍元総理の事件もあってか、2世被害者だったり、洗脳だったり、、そういった言葉を見かけます。

私は離れて6年経ち、思い出すのもたまーにです。なのでもう遠い過去の思い出で、今となっては懐かしい感じです。

今日はその思い出を書いてみました。

以下、カッコ内は真光用語です。

 

 

真光では10歳以上であれば、研修会という三日間の講義を受けることができ、ペンダント(御み霊(おみたま))をもらい、信者(神組み手)になります。

 

ペンダントは手かざしを施すための、神様(スの神)と教祖(教え主)と組み手を繋ぐという意味で風呂に入る時以外は常に身につけるもので、御み霊は自分の命以上に大切にしましょうと教えられました。(ヤフオクでたまに売られてますけどねw)

 

私は子供の頃に小児喘息を患い、不思議なことに真光がきっかけで治ってしまったために、それ以来ずっとお世話になっていました。そして支部(道場)の組み手歴の長い方とはいつも顔を合わせるため、親や兄弟、家族のように大切な存在になっていました。

 

20代では、青年部長という、支部の青年部のリーダー的な役割も任された事がありましたが、私はそういうまとめ役に向いてる性格ではないので、周りの勝手な意見に振り回されたり、批判を受けて苦しむ事もありました。(もちろん全部無料奉仕)

ですが、離れて時間が経った今振り返ると、私と同世代の方々との交流が深まり、いろんな事を企画する楽しみを得る機会を与えてもらったこともあり、そういう面ではよかったなぁと思います。

私は子供の頃から少し変わった性格だったため、小学校高学年から中学にかけては、いつも一緒にいる人はいたものの、本心を話せず孤独を感じていました。そういうこともあり、人に悩みを打ち明けたり交流できる場=宗教になっていたので当時はとても有り難かったのです。

 

その後、結婚を機に全国各地を転々をしましたが、その転勤先でも心を通わせられる人たちがすぐにできたことは、真光のお陰だと思います。

 

ただ、深入りすると、様々なことが見えてきました。

例えば恐怖心を植え付けられるような教えや、自分でできる範囲でといいつつ無理に奉納や奉仕を要求し、自分の時間より神様を優先することを強要され、いつしか真光中心でないと道場内の誰かに噂をたてられたり、自分のカルマ(過去生の曇り)で不幸現象(ミソギハラヒ)が起きるという強迫観念に悩まされるようになりました。

また手かざしは神様からの光で絶対的なものだといい、病気持ちの人に必死に手かざしする割には病気治しではないとか、仏教の三毒である”貪瞋痴(とんじんち)”をさも真光独自の用語の如く説法する割には、道場内では誰かの悪口やセクハラ問題が飛び交っていました。´д` ;

幾つもの矛盾なことが重なり、だんだん嫌になっていく私。

それに、私以上に宗教熱心だった実の母が突然亡くなったこともあり、続けることにどこか意味のなさを感じていました。ですが、恐怖心を植え付けられて辞められませんでした。

 

そんなある日、最初はインターネット上の書き込みで真光の裏の真実を知りました。

 

大雑把に言うと、さも偉人のように語られている1代目の教祖の岡田光玉氏が元々は世界救世教という別の宗教の幹部だったのにセクハラと禁忌を犯して破門させられていたのだそうです。

それを、神様が直々に光玉氏に手かざしをおろして下さった、真光独自のものだと嘘を堂々と教えてます。

その他にも知恵袋やブログで真光の裏話を書いてる方がいらっしゃいますが、世界救世教の側に確認すると事実でした。

(ちなみに真光側は分裂していく枝葉の団体を批判してますが、救世教側は真光のことを咎めていません。)

 

長年信じていたことなのに、、と、最初は真実かどうか確かめるのが怖く悩みましたが。。

なんと、、同時期に癌が発覚しました。

 

癌になったことが、何か見えないものに真光を辞めるのを後押しされてるような感じがしました。

 

亡き母が懸命に信じ、コツコツ私や家族のためを想って支払った祖霊碑(真光のお墓)や御み霊の受講代、今まで培ってきた組み手の方々との絆、なかなか簡単に捨てられるほど私の心は楽観的なものではなかったですが、

仮に偶然にでも癌が手かざしで治ってしまった場合、真光に矛盾を感じながらも一生続けることになってしまうかもしれない。宗教の間違いに疑いを感じながらも自分に嘘をつき、これからも続けていくのか??

この苦しみに終止符を打つのは今しかない!と癌が発覚してから5日後に当時所属していた道場に辞めることを伝え、御み霊を返してきました。返す日、実は局所的な大雨&土砂崩れと地震が一気に起こるという災害が前触れもなく発生し、本当に辞めて大丈夫なのか?とめちゃくちゃ怖かったのですが。。(今思うとこれはきっと自分の心の中の不安な想いが現象化したんだろうと思います😅)

支部長とは仲が良かったため、お互い涙しながら別れを告げました。

 

余談ですが、、その直後、興味が湧いていた手かざしの原点である世界救世教に入ることにしました。

(今は世界救世教も辞めて、宗教自体の考え方からも足が遠のいています)

 

ただ、真光を辞めた今でも、子供の頃に持病が治った理由から手かざしの効力は信じていますし、組み手のみなさまには恩も感じてます。

 

それから、病気や人間関係の悩みを真光によって命を救われた方、何かしらの恩を感じてる方、信じて真剣に信仰してる方もいらっしゃるので、直接的に馬鹿にしたり、間違ってると批判することに関しては疑問視してます。

 

誰かを批判すれば、それなりのものが自分に返ってきます。そもそも誰かを見て批判したくなるのは、自分にもそういう一面があり、克服できてないためです。

この世界はそういう仕組みで成り立っていると、宗教やスピリチュアル的なものから離れた今でも、別の視点からそう感じます。

 

それに、真光で学んだ事全てが間違ってるわけではないと感じています。

 

ただ言えるのは、宗教だけでなく目に見えないものを商売にしてる方々は、継続的な収入が得られるように、依存してくれる対象を探していると思います。そして、恐怖心を植え付ける事が一番、相手の心をコントロールするのに楽な方法です。

中には本当に相手の幸せを真摯に願い商売をされてる方もいますが、、全ては顧客側に真実を見極める目を持っているかにかかっていると思います。

 

真光での恐怖したものについて自分なりに裏付けできた今だからこそ、真光への恨みつらみも恐怖心も全くなく、今は感謝だけが残っていますが、

問題の真っ只中や、辞めた直後だとこんなに冷静には記事にできなかっただろうと思います。

 

実はこの記事、真光でお世話になった方々の目に触れて欲しいなという想いもあり、書きました。

信じてるものを否定したり、疑わせてしまうと、縋るものがなくなり路頭に迷わせてしまう。そうはしたくない、、、だけど真実に気づいて自分の足で立って本当の幸せを掴んで欲しいと思っています。

でも、これも自分よがりな考え方でお節介かもしれませんね。依存が本当の幸福に繋がると考えにくいですが、何かに依存して一時的にでも幸せを感じたい人だっていると思うので。

人生どう生きるかを決めるのは本人ですし、まだ学ぶことがあるから組み手の方々は熱心に通っているのだと思います。

 

他のやめてきたものと同様、世界真光文明教団も私にはもう必要なくなり卒業させてもらっただけです。でもご縁のあった皆様には心から感謝していて、いまだに仲良くしている方もいます。

もちろん向こうから嫌って離れていったり、いまだに勧誘しにこられる方もいますが、

私を一人の人として見てくれていたのか、それとも同じ苦しみを分かち合うだけの同類と見ていたかの違い、、なのだろうと思います。