私の出した答え
先日、瞑想会を辞めてからというもの、自分の内側と向き合うことを続けています。
それは、知識や他人に言われた事になるべく捉われないように、過去の自分の体験を軸にしながら。
そして、今まで得たものを分別&取捨選択してる感じです😃
これまでは、エゴを無くすことばかり考えて瞑想していました。
瞑想と出逢うまでは、怒りや罪悪感の感情に苦しみ、それは身体にも影響を及ぼしてる感覚がありましたので、どうにかこの感情を無くせないか。と考えてたからです。
瞑想を始めた当初は、これまでの記事にも書いていたように、これでもか!とはち切れんばかりに抑え込んでいた感情がどんどん出ていき、スッキリしていくのを感じていました。
でも、ある地点を境に、心はスッキリしてるけど、病院の検査結果は良くならない。薬の効果で抑えてるだけのように感じ始めていました。
しまいには、新しい薬に変えても効かなくなり、やってもやってもどんどん悪化していく身体を見て、ひょっとして、エゴを無くそうすること自体が根本的にズレてるのでは?と思い始めていました。
そして、色々悩んだ結果、エゴも丸ごと愛してしまおう!と決意しました。
ここで一つネックになったのが、本能と自我(エゴ)とインナーチャイルド、それと感情や欲の関係性について。
これまでは、"欲や感情は無くしていくもの"
という考え方が根底にありました。
それは、宗教的な観念やモラルや思い込みもあるのですが、
そっちの方が生きるのも楽になるだろうなーという予測があったり、人間の生き方として美しく平和的であると思っていたからです。
それから、エゴ=感情ではなく、一体化してるように見えるだけで、実は違うのではないか?と、感じ始めている自分もいました。
そして、本能も自我もインナーチャイルドも、大きすぎる感情や欲に惑わされてしまって、方向性を見失い、皆んなでわちゃわちゃ騒ぎ立てて混乱してしまってるだけだということがだんだんわかってきました👀✨
感情に対して、
怒り×愛=愛
悲しみ×愛=愛
苦しみ×愛=愛
罪悪感×愛=愛
というように、全てを愛(ここでいう愛は、神の愛、無償の愛と呼ばれるもの)で包み込み、癒すイメージで瞑想をすることで、全てが愛に変わって解放されていくことを感じました。
感情は大きな愛へ変容を遂げるためにどれも必要だったんだ、、って。
感情や欲なんていらないもの、そして若干煩わしい存在だと、、ちょっと誤解してました😓
そして、感情や欲が愛へと成長すると、
⚫︎本能は、いのちを全うすること
⚫︎自我(エゴ)は、健全な自己愛を育むこと
⚫︎インナーチャイルドは、幼稚な精神から成熟した精神に自立すること
と、それぞれが本来の目的、使命に立ち返り、自然に愛や調和(神)に還っていくように感じました。
本能も自我もインナーチャイルドも、愛と調和という神や宇宙意識を目指し、力を合わせて成長していこう💫
ってことだったのか!とハッとしました。
私はこれまで、本能も自我もインナーチャイルドも、それに伴う感情も欲も、ずっと無くすべきものだとばかり思っていたけれど、
本当はどれも必要で、大切なもの。
愛とともに育てていくことだったんだということにようやく気付かされました☺️
エゴを無くそうとすると、エゴがある他人や自分をどこかで下に見てしまったり、否定してしまうって思うのです。
エゴを受け入れ、健全な自己愛を育てていくと、鏡になってる相手も自ずと受け入れられ、自分に必要な存在だったのだと相手や縁の奥深さに愛を感じられますしね。
そういえば、癌が治った方、長くうまく付き合ってる方も、
上記の視点で見ると、健全な自己愛を育んで、自分の心から望んだことを楽しんでる方が非常に多いように思います。人から言われたことを真に受けるのではなく、自分の体験を通して気づく大切さを学ばせていただいてます。
瞑想を2年続けてきた事も、決して無駄ではなかったですし、上記のことに体験的に気づくきっかけを与えてくださったので、貴重な時間でした。
また、これまでも真光然り、巡って来た様々な心理メソッドや自己啓発系など、自分にとって必要不可欠なものだった。
全ての経験があってこそ、ここまで導けたのだなと。今は感じています。
これまで出逢った方々に対しても、
『私の人生に必要不可欠だった。みんなみんな、本当にありがとう❤️』
と心の底からの感謝が湧き出るよう、これからも一歩一歩進んでいきたいと思います。
【おまけ】
甥の誕生日にプレゼントしたブックヌック。
夜、暗い部屋で点灯すると幻想的な空間が広がり、心が癒されるようです。
これからは、心の記事だけでなく、
植物やものづくりのことなども書いていけたらなと思ってます。