ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

幸せってなんだろう?

幸せってなんだろう?

どうあったら幸せになれるとか数年前はよく考えてました。

 

もっと容姿が綺麗であれば。

もっと◯◯が上手くなりたい。

もっとお金があればなぁ。。

もっと人に好かれたい。。

 

なんて。

 

そういえば、以前、私が手かざし系新興宗教の信者だったとき、幸福とは何か?という話をよく聞かされていました。

その宗教での講義では、悩みの種になる要素は大きく分けて3つあり、

 

人間関係

お金

健康

 

だそうです。

これは宗教をやめた今も案外頷ける話だなと思います。

実際、信者の中には家庭内暴力や生活するお金にすら困ってきた人、癌や難病で困ってる人が結構いて、それが信者になって不思議と解消されることで(解消されているように見えて)宗教に入ったお陰で幸せになれたと思ってる方がかなりの数いらっしゃいました。

(そういう方ほど盲信的に宗教を続けていましたが。)

 

ただ、人の欲望は果てしない。。

何かに縋っていたり依存したりしてると、自分で判断できない人になってしまう。

それから、隣の芝が青く見えているような他人との比較の上で幸か不幸かを判断する人。これらの方々は、永遠に真の幸福に気づけず、満たされることがないのを知りました。

 

なぜなら、私がその状態でしたので。

 

たしかに、私は子供の頃から病気になりやすい体質でしたが、

家族もいるし、仕事もあり、生活に困っているわけでは無い。

人間関係で嫌がらせされることはあったけど、良くしてくれる方々もいることには目を向けられなかった。

こんなに頑張ってるのに、他人より能力がない、望む仕事をもらえない、他人に評価されない、そんな自分を愛せない。

そんな事に悩んでばかりで、生きていること、命あることにまず感謝ができていなかったです。

 

癌が肺に再発し、

呼吸が苦しく、身体も激痛で、寝てることも

辛い状況になり、このまま眠ったら死ぬかもしれない。。

 

そんな状況になり、

ようやく支えてくれる家族や、医療を受けられるだけの収入もあることに目を向けられるようになり、ないものねだりではなく、今あるものやいのちの有り難みを理解できるようになりました。

 

人間関係もお金も健康も、生きているからこそ満足や不満を感じられるし、悩むことができます。

 

多くの宗教やスピリチュアルでは、生まれ変わりは絶対だと述べてますが、そんなこと確証も得られるわけではありません。この世に生まれていのちがあり自分の意志をもてることは、非常に尊いことだと思います。

 

いのちあることの重要性を身をもって知れたこれまでの出来事に感謝です。