昨日、色々な方から⭐️をいただき、ありがとうございました!この場を借りてお礼申し上げます。
早速本題ですが、
先日、宗教の思い出①の記事を書きましたが、
今回はその続き、世界真光文明教団(以下、真光)を辞めた後のことを書いていきたいと思います。
現在は新興宗教団体に通うこともなく、また恨んだり恐怖することもなく、精神的にも真光からの自立をできたと思えるのですが、こうなるためにはいくつかのステップを踏まないといけませんでした。
辞めた直後は、
自分のお金と時間は奉納や奉仕に費やせと、いちいちお金のことや行動を詮索したり、自分のやりたかったことを咎めたりした信者の方々(組み手)や幹部に対する、
長い時間拘束されて自分の労力や時間を奪われたことの恨み。
また、
宗教団体で経験したあの不思議な現象はなんだったのか?
とか
これは不幸現象ではないか?本当に辞めてよかったのだろうか?
とか。
形式上は辞めたはずなのに、恨みや不安で心はいつも真光のことでいっぱいでした。
そして、寂しさもあって、
宗教団体でできた友達にこのネットを通じて知った真光の裏側の真実を伝えて辞めさせたかったり、
自分の方が色々知ってると心の底でいい気になっていたり。
今も未熟ですが、さらに未熟でした。😅
ところで、真光を辞めてすぐに、世界救世教の東方之光に入信したわけですが、、そちらはびっくりするほどの緩さに唖然としました。
真光の時は、参拝していない信者(霊線組み手)の家に定期的に訪問して参拝を促したり、会費(霊線保持御礼)を払ってもらったりしていました。
ところが救世教は、
辞めたかったらどうぞご勝手に。という感じで、来ない人には特に連絡することもなく、淡々としていて唖然としました。
また、救世教と真光は宗教の成り立ち上親子のような関係になるため、み教えの内容も必然的に似通ってるのですが、恐怖じみたオカルトさが殆どないのです。
例えば真光では、
曇った魂はミソビハラヒで地獄の業火に焼かれる(つまりカルマが大きい人は不幸現象で地獄を味わったり、あの世に行っても地獄にいく)
という内容が、世界救世教では、
自身の想念や環境破壊によって身体に溜まった毒素は自然現象として発熱や排泄の症状として排出される
といったニュアンスは似てるものの、現実的かつ穏やかなみ教えになっていました。
救世教では恐怖信仰を徹底否定し、心の美や芸術、自然美を推進してるため、真光で植え付けられた恐怖心を取り払われていき、芸術や自然農法に関心を持つきっかけを与えていただきました。
救世教の創設者である岡田茂吉氏が芸術を愛し、健康を真摯に願ったからなのかもしれません。
ただ、手かざしについては謎が深まる一方でした。救世教では”手かざし”ではなく”浄霊(じょうれい)”というのですが、不思議と痛みが引いたり、腫瘍が小さくなっていたりしてましたので。
同時期に、朝食抜きや生の青野菜ジュースで有名な西式健康法にも通っていたのですが、そこでも以前は手をかざす健康法があったようなのですが、いつの時期からか禁止されるようになっていました。
またこの話はおいおいブログの記事にしようかと思っています。
話は戻りますが、救世教の” 来るもの拒まず、去るもの追わず”な緩い雰囲気から、宗教活動から次第に足が遠のくようになり、現在は宗教をやめて、別口の社団法人のMOA会員として、芸術や自然農法を学んだり応援する目線で活動しています。
真光を離れ、救世教を離れ、、つまり宗教団体から離れたわけですが、私はその後もスピリチュアル→心理学や健康法へ興味を持つようになります。
ちなみにその時もまだ、真光への恨みや恐怖は抜けきれていませんでした。。
今回はここまでで終わります。
書ききれなかった手かざしのことも含めて、次の機会にその後の経緯を書いていきたいと思います😃