ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

世界との繋がり

先日、松野哲也さんとお話させていただく機会がありました。

 

松野哲也さんは、ウイルスの研究をされる傍ら、抗がん物質を探究され、国立予防衛生研究所時代にプロポリスが癌に効果があると発表。その後、コロンビア大学ガン研究センター教授として渡米後、ご自身がS字結腸癌を発症し、プロポリスや意識の変化で自然寛解された方です。

 

松野先生のブログ↓

https://ameblo.jp/noetic123/

 

松野先生の話によると、確かにプロポリスは抗がん作用があり、それによって癌が寛解された方も多いが、とてもプロポリスだけでは考えられないような消失例があり、それから意識や魂の世界を研究するようになったそうです。

 

ご自身も意識について探究している際、無中になって調べ、図書館に通うのがワクワクしてたそうですし、額の奥がむず痒くなるような感覚を感じてたそうです。

ある時、世界との繋がりを感じるような感覚を得た瞬間、癌が治ったというのを直感されたそうで、検査に行くと消失していたそうです。

 

松野先生の話は理学博士でもあるので、たびたび出てくる用語が難しいものばかりでしたが、私なりに要点だけを掻い摘むと、神経伝達物質ドーパミンアセチルコリンが癌が寛解になる鍵なのではないか?ということでした。

ドーパミンは何かを楽しんでる時にA10神経が活性化して放出され、アセチルコリンは深呼吸や瞑想などでリラックスした際に迷走神経が活性化して放出されるそうです。

 

先生からは、そのまま瞑想をお続けになった方がよいですよ。とのこと。

それから、できれば質の良いプロポリスを飲む事でNKT細胞が活性化するので、抗がん剤で減った白血球を補ってくれると思います。

とのことでした。

(ネットなどで安く販売されてるものは薄めてあったりして質があまり良くないので、効果は期待できないそうです。プロポリスが気になる方は、松野先生のブログから直接、購入方法をご相談されてみてください。)

 

ご自身で癌にかかり、研究され、意識の世界のことにも理解がある方はこれまで出会った事がないので、貴重な体験でした🍀

 

 

ところで、癌が自然寛解される方は何かしらの神秘的な体験をされる話をよく耳にします。

癌に限らず、エイズ患者の女性が寛解した話を松野先生からお伺いしたのですが、その方も神秘的な体験をされたようです。(松野先生の話によると、単なるエクスタシーに似たようなものだと仰いましたが😓

 

私はいつになったらそんな体験できるのかなー。どうやったらできるのだろう?

なんて、ここ数年ずっと考えてました。

 

話が少しずれますが、私は趣味で家庭菜園をしてます。MOAカタカムナなどから無農薬無肥料のことを教えていただいた経緯から、始めたのがきっかけです。

植物からは本当に色んなことを学ばせてもらってます。

 

先日、その家庭菜園で育ててる(というか勝手に育ってるw)紫蘇やモロヘイヤの花にミツバチが蜜を集めにきてました。

「少しずつ寒くなってきて、花が枯れてきてるから、蜜を集めるのも大変だろうなぁ。」

と蜂を眺めてると、見えない糸のようなもので自然界と繋がってる感覚がしました。

 

その時は、これが神秘的な体験だとは思いもしませんでした。なぜなら、普段からごく自然に感じてることだったので。

 

ふと、松野先生の話を思い出してみると、

意識してなかっただけで、私は同じような体験を過去に何度もしてたのか。。

と気付かされました。

 

最初は小学生の頃。

下校中に、皆んなには産まれてきた親がいるんだよなー。と思ってると、世界(地球)が命の光で包まれたようなビジョンが見えたり、

大人になってからはその頻度があがり、ぼんやり空を眺めてると、広大な宇宙と無数の魂が糸のようなもので繋がってるものが見えたり。

はたまた、仕事で一生懸命プランを考えてる時にパッと上からアイデアが降りてきたり、バイオリンを練習した後や合気道の稽古後にも、世界との繋がりをよく感じてました。

 

ここで疑問が残ります。

こんなにも不思議な体験を日常に感じてるのに、癌が寛解するどころかなぜ再発してしまったのか。

 

おそらく、元々恐怖心の強い私は、度重なる出来事で自己否定や自己嫌悪に陥り、また恐怖や怒り、悲しみなどで、自我が混沌して膨れ上がることで、

外側の世界とのエネルギーの繋がりを感じつつも、うまく自分の中で循環できなかったり、ブロックされていたのだろうと推測します。

 

さて、私の病はどうなるのかは神様(自然の流れ)にお任せですが、私も自分が無中になれる何かで今も誰かの役に立ってるといいなと思います。松野先生のように博学でもなく、何の変哲もない凡人ですけども。

瞑想の報告や宗教のことなど

今日はほぼ宗教やスピリチュアル系の話です😅

(といっても、普段からそれよりの記事が多いですけども😆

 

以前ブログ記事に書きましたが、今年の4月に瞑想に出会ってからというもの瞑想を続けてます。この瞑想はノートとペンだけで行えるし、立ってても寝転んでいても集中できさえすれば可能なので気軽に行えます。

 

瞑想するにつれて、確かに何年も根に持って嫌悪していた人のことや、凄く辛かった出来事を今まで引きずって、思い出しては苦しみ、うんざりしてたのですが、

最近は何だか思い出せなくなってきてて、やっと思い出しても、そんなことあったなぁ。という感じで、感情が出てきません。

他にも、

今、抗がん剤で禿げてるのですが、人前でもウィッグもニット帽も被らなくても平気になってるし

仕事中は作業しながらも頭の中は過去の嫌な事で雑音まみれだったのですが、殆ど無音になってます。

 

しかし瞑想を続けると、不思議なことに過去の蓋をして忘れてたトラウマがわんさか溢れ出してきます。

(これまでは観念的に「その出来事にもメリットはあった」と植え付けて解消したように見せかけて、実はゴミをぎゅうぎゅうにつめて重石を乗せ、見えないように痩せ我慢してるだけでした💦

 

以前、世界真光文明教団という新興宗教に入ってたことは結構前の記事で書きましたが、当時は毎日通わないと脅しの電話がきてた事とか、趣味などやってると熱心な信者の方達にお叱りや嫌味を言われてたこと、なりたくもない専従者になるように脅されたことなど。

暫く忘れてたのですが、感情は心身にしっかり蓄積されてるんだなぁと感じる日々です。

 

目に見えない世界に関心がある方は、新興宗教やスピ系セミナーにお金を出して熱心に通ったり、恐怖心を煽るような陰謀論、オカルトなどに興味を持って信じきったり、色んな手段で真理を追求されると思いますが、

根本的な真理はそう自分や他人を追い詰めて苦しくさせたり、怖がらせるようなものではないような気がします。

 

癌が自然消滅した方々のお話や、以前ブログに書いたバーソロミューの本、色んな実例をかき集めていくと、私たち生命の本質は無償の愛なのだということが納得いきます。

時には苦しみも大切ですが(克服することで無償の愛へと一歩一歩近づけるため)、愛とは真逆の恐怖や苦しみに慣れ親しむと、本質からはどんどん遠ざかっていくのは必然ではないかと思います。

 

お釈迦様が仰った四苦(生老病死)も、それらが苦しいと感じさせるのは自我(エゴ)ではないかと思います。

真理や魂の世界のお話によると、何らかの気づきを得るために、大きく感情が揺さぶられるような出来事があるようです。

なので、逃げようとする限り克服できるまで追ってくるし、何かにすがって助けて貰おうとしても、克服したことにはならないのでこの世での課題は溜まっていく一方。

さらに悪いことに自分の苦しみが他人との比較の材料になり、幸福な人を妬んだり愚痴を言うことになると、克服できないどころか、ますます状況は悪化するようです。(これらは私の実体験からです💦)

 

以前の私は、皆んなと一緒にいて寂しさを紛らわそうという気持ちがあり、新興宗教の教えに矛盾を感じつつも仲良い関係に執着して辞めれなかったり、

逆に辞めた後はそういった団体から被害を受けた恨みつらみで自我が暴走してて、暫くは心は宗教に囚われてたし、今もトラウマが心の奥底に眠ってたことに気づいたのでまだまだのようです(笑)

 

宗教団体やスピ系のセミナーなど、それで心が救われてる方々もいたり病気が寛解した方もいるので無我に否定はできませんが、

困ったらすぐ答えを教えてもらう(頼る)のでなく、自分の中に答えがあるで、まずは自己内観し、自分で考えることが大切だと思ってます。

 

新興宗教を辞めた今も、教えていただいた内容の中にも素晴らしいものがあった事は認めてます。でもこれからは、新興宗教では気づかせてもらえない無償の愛真理を魂の目で見ていければいいなと思います。

 

偏見を持たず幅広い目線で、目の前のことや好きな事を、周りの人々を通じて、どこまでも真理を追求していこうとする気持ちが大切だと思う日々です。

また機会があれば、瞑想の結果報告していきます🍀

ついにコロナに

先月末、ついにコロナに罹りました。

しかも抗がん剤を打った直後の白血球が下がった時でした(苦笑)

熱はあまりなかったのですが、頭痛と痰の量が凄まじく、なかなか寝れないし、寝れても痰が詰まって咳き込んで起きてしまう。。

 

病院からは入院しますか?と言われましたが、7月の抗がん剤の副作用の息苦しさより幾分楽だったので自宅療養することにし、1週間ほどで回復しました😃

 

コロナ中は辛かったのですが、面白い症状がいくつかありました。

①音が半音高く聞こえる。

着信音などが妙に高いなーと思って、スマホのピアノアプリを使って音を鳴らしてみると、なんと、ドがドに聴こえる!!(笑)

こんな時にバイオリンを弾いたら、どんな感じだったのだろう?と思います。(体力的に無理でしたが)

でも音楽家がこんな症状が続いたら致命症だろうなぁと感じました。

 

②臭いを感じない。

私は結構鼻が効く方で、話し相手の匂いにも敏感なのですが、全く感じませんでしたし、今も微妙に治ってません。

それどころか、料理する時も食べ物の匂いを感じません。

でも、そんなに不便ではないですし、臭い臭いもしないので気楽です(笑)

でも、万が一火事でも起こったりしたら、逃げ遅れるだろうなと思います💦

 

③食べ物が不味い。

食欲は殆ど落ちなかったのですが、その代わりにご飯が不味く感じました。

特に塩気に関してはいつもの2倍以上にしょっぱく感じましたし、何故かヨーグルトがえらく苦い😱

 

こんな感じでした。

体調悪いのは辛いですが、普段と違う感覚というのも面白いなぁと思い、コロナをある意味楽しんでました。

 

インフルエンザもだいぶ流行してきたようですし、寒くなってきたので、皆様もご自愛ください🍀

わたしがブログを書く理由

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

今のブログを始めた時は、テーマの方向性が決まらずになんとなく再開しました💦

実はこのブログを書く前は、完全に『闘病』をテーマにした内容にするつもりで書いていましたが、病気と真っ向勝負!というより病気の再発と一緒に始めた心の問題に興味を持ち始め、以前の内容を消して、今は心の問題に焦点を当てた内容が多いです。

 

病気が再発して気づいたのですが、大病で苦しんでいる方もそうでない方も、一昔前と比べて心の問題や生き方に悩んでる方が多いように感じます。(そしてその問題を抱えてることを気付けてない方も非常にいるように感じます)

 

自分の人生を真剣に生きられてない。他の人の事ばかり気になる。

自分がそうでしたし、世間の物差しや枠が少し外せてきた今もそうだと思います。

 

掃除機買っただのケーキ食べただのどうでもいい日常の事も書いてますが、

心や生き方は一生のもので、命が尽きるその一瞬まで学び気づくものだと思うので、ブログの内容として続けていくのにはもってこいです。

 

私も、関連する色んな方のブログを読んで、気付かされることも多いので、私の書いた内容も誰かの気づきになればと思い、これからもシェアしようと思います😃

今までで一番の衝撃的な勘違い

少しずつ気候も涼しくなってきましたね。

 

実は先日、凄く驚いたことがありました。

なんと、40歳にもなろうとする今、長年信じていた血液型が違ったことが判明(笑)

 

それを知ったのは、看護師の方とのたわいもない会話からでした。

看護師「◯◯さん(私)、私と同じ血液型なんですね〜」

私「そうなんですか!」

看護師「AB型!」

私「え!B型です」

 

。。。何かの間違いなんじゃない?!

衝撃が走りました。😱

 

長年B型だと思ってたし、大人になってからもどこかで検査した時にB型だと言われて、そうだよな〜、大人になって変わるはずないか。

とまで思った記憶があったのですが。

 

この会話から、ナースステーション内は、どのデータからこの検査結果になったのか?と他の看護師まで巻き込む騒ぎになってしまいました。結局、先日の入院前の検査時に、もしもの事があって検査したとのこと。

また念のために精密検査をするという話になりました。

 

ただ、7年前も手術を受けたはずなのに(輸血の可能性もあるので、手術前は必ず血液型の検査も行うそうです)、なんで今になってAB型だってことになったのだろう?と、手術を受けた北海道の某病院に電話で問い合わせをしました。なんと、手術前のデータを残していてくださって、結果はAB型でした😅

 

ガーーーーーン!!!!!

 

今までなんだったのだろう。医師も教えてくださらなかったんですよね。

今はあんまり血液型診断で性格を判断しない時代になったかもしれませんが、私の子供の時や田舎のまだ古い感覚の地域では、血液型で判断されてしまい、「B型!」というと、大体「えー!」という答えが返ってきて、自己中だとか変人だという目線で見られてしまい、かなり苦しんできたのですが。。😱

なんだったのだろうw

(まぁAB型も世間の評価で変人であることには変わりないんですよね。)

 

私はまだまだ、世間の価値観やに囚われてしまうので、今回の勘違いは、自分の身体と心が全て入れ替わってしまったような感覚に陥りました。

(私のイメージとしては、カラーが青(B型)赤と青のストライプ(AB型)になったような感覚がしました。)

体も心も今までの自分と全く変わらないですけどね😅

 

本当は血液型や誕生日だけでその人の性格の傾向がわかるはずないのに、世間では何かの枠にはめることでこの人はずっとこういうものだと判断しやすくしてるのではないかと感じました。

これもおそらく、根本は未知の存在への恐怖からやってきてるのではないかと思います。

ずっと変わらない存在には安心感を感じますが、時と共に環境が変わると習慣も変わらざるを得ないし、心も変わるはずなんですけどね。

 

生きてると、たくさんのに知らず知らずに縛られて、「こういうものだ」「こうあるべき」という価値観が身について生きづらくなってると思います。

このをいかにたくさん気づき、外していくことが、人生を楽に自分らしく生きる方法に繋がるのですが、、実は外すこともかなり恐怖が付きまとうんですよね。

今までいた環境を離れるのには勇気がいるのと一緒で、心の問題となるともっと勇気が必要なように感じます。

私は今後も瞑想などで自己内観して、枠を外していけたらなぁと思い、今回の出来事はよい教訓になりました(笑)

苦しみの克服

明日からお盆ですね。

お盆は亡くなった方たちが帰ってこられるみたいですが、皆様の大切な方々もきっと帰ってこられて心の中でまた思い出に浸りながら一緒に一時を過ごされるかと思います。

私の母や夫のお祖父さんお婆さん、癌で知り合った方達も帰ってきてくれてるのかな?

たくさんの人たちであの世もこの世も帰省ラッシュですね😅

 

誰か大切な人が亡くなる時は見送る側も苦しみに苛まれますし、かくいう私も母が急逝した時はショックで後々まで引きずっていました。

 

以前から感じていたことですが、苦しみをいつまでも引きずるタイプと、ケロッと忘れてるタイプがいるなぁと思っていたんですよね。

 

ちなみに私は根っからの苦しみをいつまでも引きずってしまうタイプなので、過去の辛いことをいつまでも鮮明に覚えてしまっていて思い出しては嫌だなぁと思ってしまうし、将来起こるかすらわからない事に対しても心配が募ってしまいます。

 

でも最近、その苦しみを無くす感覚を体験することができたんです。

その経緯はまた後で書きますが、結論から言うとその方法は、

苦しみから逃げずに静かに見つめて受け止める

です。

 

普段から瞑想などで自分を内観する習慣がある方は既にご存知のことかもしれませんが、

病気や怪我の痛い!苦しい!と感じた時、ますます痛みや苦しみを増強させてしまうのは、その痛みや苦しみから反射的に逃げようとしているからなのだと思いました。

そりゃ、痛みや苦しみなんて辛いので逃げたくなりますが💦

そこを敢えて、子供や小動物を愛でるように受け止めると、なぜか和らいだり消えたりしたのです。

とても不思議でした。

 

この事に気づいたのは、以前のブログでも書いた、今年の7月に肺炎の苦しみで入院した時でした。

あの時の痛みと苦しみは人生で初めて味わうくらい辛いものでした。

既に4年前から両肺の気道付近に癌があるため、普段から息苦しくはあるのですが、今回、抗がん剤の副作用で肺炎になった時はさらに辛く、

⚫︎鼻から肺まで痰がまとわりついて邪魔して空気が入らない。咳をしても痰が出てこないため無駄にあがいてる感じ。

⚫︎呼吸で酸素が得られないため意識が朦朧として頭で何も考えれない。でも気を抜くと痰を誤嚥してさらに咳き込む。

⚫︎咳で肺周辺の筋肉を使うため肩や背中、胸の辺りが激痛。肺が膨らまずに硬くなって更に空気が入ってきてくれない。

そんな感じで、いつも以上に息ができない苦しさと痛みと痰が絡むイライラとで溺れるような感覚でパニックになってました。

 

病院に運ばれて酸素濃度を上げてもらっても血中酸素濃度が全然上がらず、医療用麻薬もなかなか効果が現れず、私の理性が働かず、我慢できずにベッドで泣きながらのたうち回ってました。

 

この時、肺の検査のために、ポータブルレントゲンを使ってベッド上で撮影しようと先生や看護師さん方が試みてくださったのですが、私が動き回ってじっとせず、体制が取れないので困ってらっしゃいました。

 

苦しみの最中、

どうにかレントゲンを取れる体制にしないと。

そのためにはこの痛みや苦しみをどうにかしないと。

、、、で、どうしたら消えるのか??と思った時、一瞬楽になる感覚があったので、その感覚を探っていくと痛みや苦しみを静かに見つめるという感覚でした。

見つめていると、不思議なことに痛みや苦しみとは別のもう一人の冷静な自分が心の中の主軸となって現れてきたのですが、それと同時に痛みや苦しみが小さくなっていました。

そして体制を整えることができ、無事にレントゲン撮影を終えることができました。

(しかし、レントゲンの最中は大丈夫でしたが、気を抜くとまた痛みや苦しみが戻ってきました😅

 

入院中は、この時以外にも痛みや苦しみが何度も訪れて、その度にパニックを起こしてましたが、反射的に「(苦しみから)逃げたい」「避けたい」とする気持ちがさらなる悪化につながってしまうようでした。

身体的な痛みだけでなく、心の痛みに対してもそのようで、私は心の癖で辛くても感じないフリをしたり原因から逃げたり誤魔化したりしてしまうのですが、自分の辛かった体験をしっかり「辛かった」と涙がでるほど味わい受け止めることで、感情がかなり小さくなりあっけらかんとした自分になっていることに気づきます。

 

仏教用語で『一切皆苦』という言葉があるように、この世の全ては苦しみなのかもしれませんが、それを受け入れて感情に左右されなくなることで、状況をありのままに観ることができ、冷静な判断ができるようになるのかもしれないと思います。

 

お釈迦様はその事を本当は伝えたかったのかもしれない、とこのところ感じています。

 

今回の体験を通して、『苦しみ』はたくさんの学びを与えてくれるものだと思いました😃

エゴを解放する扉

前回のブログでも、ここ数ヶ月の間に真理に近づくための方法に出逢ったと書きましたが、

今日はそのことについて書いていきたいと思います。

 

本当は自分の病気が回復したりなど、結果が伴った後に書く予定でしたが、

確かに今、心が平和に保たれてる感覚があるので、心に苦しみがある方や興味ある方に届けばいいなと思って、今回記事を書くことにしました。

 

その前に、私のこれまでの経緯をざっと書いていきたいと思います。心理に興味のある方の参考になると幸いです。

 

 

1度目の癌になった時は、体は食から作られるという考え方から、食事療法について勉強したり、

はたまたストレスが病に影響するという考え方から嫌いなことは極力減らして、ポジティブ思考、楽観的思考が良いとばかり思ってました。

今考えると凄く短絡的な考え方だったなと思います😅

 

肺に癌が再発した時はそんな馬鹿な!と思い再発したなんて信じてませんでした💦

ですが検査結果で再発癌だと判明し、藁にもすがる気持ちでした。ある時ふと、そういえば私は子供の頃からことあるごとに病気ばかりだったなぁと思い、ネット検索してとある心理メソッドに興味を持ちました。

 

その頃はちょうど、人間関係に苦しみ、やっていた仕事や趣味にも疑問を感じ、生き方がわからなくなってる時期でもありました。

(今思うと過去のトラウマになってたことを全て精算しなければならない時期に入ったよという知らせだったのだと思います)

 

特に人間関係については、愚痴や嫉妬が強い人、感謝や謝罪がない人、上から目線で人を振り回す人など、、苦しみつつもなぜこんなにも変な人たちが寄ってくるのか?!と不思議に思ってました。

過去に遡って振り返っていくと、子供時代の親との関係が現在の他人との関わり方に結びついてることがわかりました。

 

その他経緯した心理メソッドでも、本当に多くのことを学ばせてもらいました。

例えば、プラス思考はOK、マイナス思考はNGと一般的にはマイナス思考は嫌われますが、

実はこのプラスとマイナスは表裏一体で、プラスである『喜び、幸せ、楽しい、嬉しい』を手放せないと、マイナスである『悲しみ、怒り、辛い、苦しみ』からも逃れられないということ。

仕事、結婚、趣味、子育て、どれをとっても得るものと失うものが必ずあり、どんな出来事にもプラスマイナスは存在し、それは病気に関しても同じだということです。

なので何事もプラマイゼロの『無心』状態で取り組むことが大切で、無心の状態から心の平和、安心立命が生まれるのだそうです。

 

また、外からいくら良いものを与えられても、受け取る自分が変わらないと変化しないということ。

なのでこれまで私が受けてきた、整体にしても、食事療法や薬、はたまた宗教の手かざしwにしても言えることです。

一般的には、テレビを見たり、旅行に行ったり、遊んだり、、一時的な安楽や楽しみを得ることも入るかと思います。

感謝や愛の想念から程遠い『怒り、憎しみ、嫉妬、悲しみ、恐怖』などの感情が次々に心の中で生み出されてると、外からいくら良いもの得ても単なる苦痛の誤魔化しになり、苦痛の種である病気もその他の悩みも解決しないということです。

 

それから、周りの人は自分の心の投影だということも知りました。最初は「そんな馬鹿な!私はあの人たちと違ってそんなに性格悪くないよ!」思っていたのですが(笑)、

確かに他人の嫌な部分が自分の中にもある!と気づいた途端、もがいても取り去れないエゴに苦しみ、いつも溺れたような感覚になってしまいました。

 

『エゴ』について色んな人の話を聞いたり調べたりすると、

ある人は、エゴは人間らしくて持っているのが自然だと仰り、ある人は、エゴが少ない人なんて滅多にいないと仰っていました。またある人は、エゴを解放したと思ってもそれは思い違いで、エゴは一生付き合っていくものだと。

 

だけど、この私の心の中の大きくなったエゴを取り去らない限り、ずっと心も苦しく、病の苦しみからも解き放たれないだろうなと思いました。

 

エゴから解放されるために、とある心理テストから自分のエゴに向き合ったりもしましたが、より自分がエゴイストであることを知っただけで解消とは程遠かったり、理論的には素晴らしく見えても実践が伴わなかったり。

 

そんな中、今年の4月にふとしたきっかけで出逢ったのが今回の瞑想法でした。

2極を統合し、完全な悟りと愛から生きるための瞑想

 

瞑想といっても座禅を組むわけでもないちょっと変わった方法なのですが、紙とペンとちょっとコツを教えてもらえば誰にでもできるものです。

 

瞑想を行うにつれて、今までやってきたメソッドでは、観念や言葉で表面上解決したように見えて、実はほとんどの感情を見えないように心の中の押し入れに封印していただけだったことに気づかされました。

 

エゴをクリアにすることが果たして本当に自分の病気を解放に導くことに繋がるのかまだわかりませんし、仮にそうだったとしても、もしかしたら全てのエゴをクリアにする前に私は病気の悪化で寿命が来てしまうかもしれません。

 

これまでも始めた当初は、この宗教はいい!この食事療法はいい!この心理メソッドはいい!と病気が治る前に他人にお勧めして、暫く自分で実践した結果、そんなに良い成果に結びつけなかったことばかりでした。

(ありがたいことに、勧めた人達は本を読む程度でとどまってくれましたが)

なので、まだ私も癌が寛解したわけでもないし、この瞑想も究極的なものではないかもしれません。

ただ、瞑想を教えてくださる方々も金銭や名誉でやっておらず、ただただ他者への愛で行っており、強制もないし、気軽になんでも質問できて誤魔化しもなくちゃんとした答えが返ってきます。(私のいた宗教で起こった怪奇現象や、世の中に出回ってるスピリチュアルの疑問点についても答えて下さってます)

 

また今後、瞑想をやって気づいたことや結果をブログで書いていこうと思っています😃