ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

バイオリンの弦を交換

今日は久しぶりにバイオリンの弦を交換しました。


バイオリンの弦は、種類にもよりますが、大体1年くらいで交換することを推奨されています。

早い人では1ヶ月から3ヶ月で交換する人もいるようですが、このバイオリンの弦、楽器もさることながら、結構なお値段なのです。

4本セットで最低でも4000円〜。😨

確かに、バイオリンの弦は、ギターに比べ高い引張り力が常にかかってるので、その分耐久性が必要。そのため金額も高くなるのは頷ける話ですが、短いスパンで交換する人は、勿体無く感じないのか、、、ケチな私には不可能な話です。


んで、今日、弦を交換しましたが、

前回交換したのが確か2021年1月だったので、約1年半ぶりの交換になりました。


ビジョンからドミナントへ。

E線はゴールドブラカットのブラススチールに初トライ。

元々はドミナントばかり使用してたのですが、前回交換する時に別のものにも興味がでて、ビジョンに浮気してしまいましたが、

でもやっぱりドミナントがいい!と戻ることにしました。


ところで、弦楽器を演奏する方は、弦がもし切れた時のために、予備に弦をストックしていることが多いようです。

私もストックしてるのですが、

今までは、交換する前に新しいものをセットで買い揃えて、前回からストックしていた予備の弦を張り替える。そして新しく購入した弦を予備弦にして、交換した古い弦は破棄。

という手順だったのですが、

これだと予備の弦は、次取り替える時まで私の元で一年以上保管していることになります。


いくら保管状態が良好でも、金属なので一年もしたら錆や湿気で劣化してしまってる可能性が。。。(さらに私の保管状態はテキトーです)

なので、今回から、交換した後の古い弦を予備弦にし、次の交換時に新しい弦を買うまで捨てずに保管することにしました。


少し考えればわかることですが、、(きっと当たり前に皆さんそうしてることでしょう)

10年以上バイオリンを弾いてて、今日初めて気づいた私でした😅


コジコジからの真理探究

さくらももこさんの描かれた漫画『コジコジ』をご存知でしょうか。



ちびまる子ちゃん』を少し大人向けにした内容で、個性豊かなキャラクターやギャグ満載の内容に、フフ、、っと笑ってしまいます。


コジコジというのは、この漫画の主人公の名前。

見た目は、漫画の中ではくまのぬいぐるみという設定らしいのですが、尻尾の長さからすると私はネコの方が近い気がします。

又は、、ネズミ?w


コジコジの可愛位らしい容姿とは裏腹にかなりの個性の強いキャラクターで。

ちびまる子ちゃんで例えると、山田くんに近いキャラだと思います(笑)


このコジコジ性別はよくわからないし、

文字も出来事も全然覚えられないから、学校のテストは殆ど0点だし、いつも皆んなを困らせて、馬鹿扱い。そして無一文😅


ただ、このコジコジのたまに言うセリフが妙に真理をついてるなと思います。


コジコジは生まれてからずっーとコジコジだよ』


『馬鹿だよ。馬鹿で何が悪いの?』


コジコジは役立たずだよね??』


と、何の嫌味もなく純粋に、そして自慢げに言ってるのです。


馬鹿だと思いきや、

誰もぼんやりとしか説明できない催眠術のことを端的に説明をしっかりすることもあったり、他人の考えてることを言い当てたり。


そして、どんな恐ろしいことが起こってもこのコジコジだけは終始落ち着いて笑顔でいて、まるでこの先どうなるかわかってる感じにも見えます。


このコジコジ、見ていけばわかるのですが、

宇宙から生まれた宇宙生命体であり、”この世界の全て(トータル)”という存在として扱われており、実は登場人物の中の誰よりも長く生きています。


コジコジは、何もできなくても、何も持っていなくても、自分が自分であること自体に誇りを持っていて、

“今、ここ”に生きているので、時間と共に移り変わりゆくものは、無意識に記憶する必要がないものだと感じてるのだろうなと。(私の推測です)


長く生きてさまざまな経験を積み重ねていくことは、どんな出来事に遭遇しても”大丈夫、全てはなんとかなる”ということを”知る”ことなのだろうと感じさせられます。


コジコジの発言や行動で、何か気付かされるたびに、真理の扉をまた一枚開かれ、世界が広がるような感じがします。


私が全キャラクターの中で一番好きなのはもちろんコジコジ

ですが、実際こんな性格の人が身近にいたとしたらストレス溜まるだろうな、、と思います😅


コジコジの他に、、、

ツッコミの上手い半魚どり、次郎くん

女好きの雪だるま、コロ助くん

エロいことを考えるとすぐ沸騰してしまう、やかんくん

やかんくんのお茶が大好きな、亀吉くん

自慢話の多い太陽の神様、ゲラン

冷静沈着な雷の神様、ドーデス

姉御肌の梅鉢姫、梅ちゃん

可愛い優等生、ペロちゃん

商才に長けた、おかめちゃん

友達想いのてるてる坊主、テル子

亭主関白に見せて実は奥さんにデレデレの正月くん

ジョニーのことが好きなお天気の神様、ハレハレくん

記憶喪失で自分のことが何一つわからない人間、ジョニー

金儲けや悪巧みを考えてる、ブヒブヒ&スージー

皆んなに物知りと思われたい知ったかぶりの物知りじーさん

偉そうな、亀大明神

真面目でロリコンの担任の先生


その他、、(書き過ぎた)


いろんなキャラクターがいるからこの漫画の世界が成り立ってるわけで、ちびまる子ちゃんと同じように、みんな違ってみんないいと感じさせられる漫画です。


YouTubeでも公式サイトから毎週アニメが更新されてるので、こちらもおすすめです。


https://youtube.com/c/cojicojichannel


私らしい生き方

私は自己啓発系の話が好きで、

10代の頃から、話題の自己啓発の本を買っては読んでいました。

なぜ自己啓発系に惹かれるかというと、少し賢くなった気になるし、これからの未来がきっと豊かになるという甘い期待を得られるから。笑


ただここ最近思うのが、

人間に高い低いのレベルや善悪の枠を外してフラットに見ると、

どんなに著名な方の講演を聞いたとしても、高名な方の著書を読んだとしても、単に一個人の意見を聞いてるという行為に変わりはないということ。

普段、家族や友人の世間話を聞いてるのと結局は同じだということです。


有益な情報、小難しい話も

一つの意見であって、一見最も正しい真実の意見に見えていても、それが自分にとって合うかわからないし、不正解かもしれないということ。


それよりも、私のことを普段からよく見てくれている家族や友人の言葉に少し耳を傾けてみることも大切だと思ってます。

いつも一緒にいる人だから、軽視しがちになったり、この人は〇〇だからとレッテルを貼りがちだけど、誰よりも心から私の幸せを願い、大切にしてくれているはずです。


なので、身近な人や長年深い関係を築いてきた方の意見は、どんなに否定的でその時は納得がいかなくても、後々になって感謝できるかもしれない。。耳を傾ける方がよいと思いました。


さらに言うと、もっと身近な存在である自分。

自分自身の内なる声に耳を澄まし、色々試して自分なりの考え方や答えを出す。

外からの情報を一旦取り入れたとしても、自問自答して吟味することが大切だと感じます。


周りの意見は受け入れるが、鵜呑みにして振り回されるものではない。

自分の足でしっかりと人生を踏み締めていきたいものです。

天風会に参加していた時のこと

唐突ですが、

私は何かに興味をもったら居ても立ってもいられない面があります。😅

 

気になることが見つかると、教えてくれる団体の連絡先をネットで探して直接出向き、一旦考えたり踏みとどまる気持ちよりもやってみたい衝動に負けて、即その場で参加の返事。

でもその熱意は長く続かず、矛盾や面倒さから次第に飽きがきて、足が遠のく結果に。

このパターンがここ数年、数えきれないほど多いです。😱

 

その一つの例として、

数ヶ月前までお世話になっていた天風会。

 

ちなみに、この記事を読んでくださってる方、中村天風氏をご存知でしょうか?

中村天風とは、一言で言うと昭和の偉人です。当時不治の病と言われた肺結核を、インドの聖人カリアッパ氏の下で自身の心を見つめる事で治癒させ、帰国後、ビジネスの面で社会的にも成功した後、この教えを世に広めようと天風会という法人団体を作りました。

(間違ってるかもしれないので詳しくはwikiなりでググってくださいまし。)

 

私は乳がんから肺に転移した腫瘍があるので、その克服のために試しに数ヶ月、一般として天風会の行事に参加してました。

 

ただ、前述したように、途中から心の中になにか違和感を感じて、足が遠のいてしまい、今に至ります。

 

そして、つい先日、お世話になってた時にいつも相談していた女性から、様子伺いのメールがありました。

 

この女性にとてもお世話になっていたにもかかわらず、会の行事に参加しなくなってからというもの、何をメールしていいのかわからなくなり、連絡をとってませんでした。

年齢は私よりも上ですが、面白くて明るく、親しみやすい素敵な方です。

というか、天風会の会員は皆さまこんな感じ。

会ではポジティブであることを良しとするので、必然的に皆さんこうなっていくようで、話していて気持ちの良い方ばかりでした。

 

定期的に行修会という勉強の場があるのですが、会の終了後、自分の意見を述べる場があり、時折り、その女性のお話からは、過去に何かトラウマになるような辛いことがあったのかもしれないなーと感じられることがあり、だから天風会に入って毎回真面目に行事に参加してるのかもしれないと思う事もありました。

 

天風会では、

積極精神(ポジティブ)は良いこと、消極精神(ネガティブ)は良くないので心からすぐさま追い出してしまおうという考え方が基本にあります。

 

たしかに愚痴や嫉妬に関して、私も気持ちがいいものではないし、自分もやってはいけないと思っている部分はありました。

ですが、自分にそれを義務化すると、それをやってる他人が段々許せなくなってしまうのです。

 

ちょうどその頃、愚痴を言ってる友人がいました。Twitterで夫や実親など、本人に直接言えないことをずっとグチグチグチグチ。。

その光景を見てるとイライラしてきて、大した事じゃないのに。。と、友達関係を辞めたくなることがありました。(それ以外の話は楽しかったのですが。)

 

また、私は病気の症状で最も苦しかったのがその天風会にいた時なのですが、天風会会員の皆さまからの”頑張れ” という応援や励ましの言葉が、有難い反面とても辛かったのです。身体が元気な時はとても嬉しい言葉だったはずなのに。。

 

自分なりにやることはやり、精一杯気張って生きている。でも、これ以上何の手を尽くして良いのかわからない。症状は悪くなる一方。

そんな時、一方的な応援や励ましの言葉はこちらの気持ちに蓋をされるような気がしていました。

 

その後、次第に自分自身も心が苦しくなり、それが原因かはわかりませんが私の病もますます悪化。

 

体力的にも天風会の行事に参加できる状況でなく、そういう心の変化もあり、距離を置こうと思うようになりました。

 

ただ、天風会の教えを否定してるわけではありません。他の宗教も自己啓発もスピリチュアルも同様です。

その団体の考え方とビタっと合致する人はきっと病も治るだろうし、すてきな人たちにも囲まれて人生も良い方向に変化して幸せだろうと思います。本人の悩みが解決するならそれでいいと思うのです。

実際そういう人も私の周りに多くいましたので。

 

でも、当時の私には合わなかった。

ただ、それだけの事です。

 

でも天風会に参加した数ヶ月の間、絶対積極の教え(どんなことがあっても大丈夫だという世界に委ねるようなこころ構えだと解釈してます)や、

心と身体の関係性(心身統一法)、

また、私の元々持っていた宗教へのトラウマもかなり拭えました。

『いのち』という言葉の奥深さ、その他にも思ってることを書き出して頭を整理することを習慣化させてもらったこと等、

多くのことを教えていただきました。

決して無駄ではなかったと思います。

 

今回メールを下さった女性には、正直に思っている事を伝え、感謝の言葉を添えました。

 

全ての出来事は自己成長のため。

今の考え方に導かれるためのご縁だったと思い、支えてくださった皆様にはとても感謝しています。

病がくれた出逢い

私は現在、乳がんの肺転移の治療のため、月に1回〜2回、投薬と検診で県内のがんセンターに通院してます。

(詳しい経緯はまた別の記事で追々書いていこうと思ってます。)


そして、昨日は通院日でした。


いつも昼下がりの人の少ない時間帯に予約を入れるのですが、それにも関わらず、病院はかなりの患者さんで溢れかえってます。


癌は一生涯のうち2人に1人がかかると言われてますし、患者の数の多さからもまさに国民病なんだなぁと思い知らされます。


患者さんは、60を越えた方が大半のようですが、中には20代、30代の若い方も稀に見かけます。


癌という病気はステージによっても症状に大差があり、

通院してる方の殆どはあまり症状がなく、見た目も健常者と変わらず生活できてる方も結構いらっしゃるのですが、生命維持に関わるような部位にある方や腫瘍の大きさや量がある方は、歩けなくなったり食事が取れなかったりして危険な状態になる人も中にはいらっしゃるようです。


今年の2月ごろ、化学療法センターの待合室で順番を待ってると、松葉杖をついて体を引きずりながら歩く30代くらいのガタイの良い男性をみかけました。

明らかに体調が悪そうで、今から抗がん剤の投薬なのかな、、という雰囲気がありました。

見た感じ私と年齢が近いのもあり、記憶に残ってました。

私自身も当時、腫瘍マーカーが爆上がりで、呼吸困難&発作で、立って歩くのが精一杯だったので、私も彼も残された時間は、もしかしたら後僅かなのかな、、と思いながら遠くからぼんやり眺めていました。


私は、その後から現在にかけて、新しい薬が効き、マーカーも半分まで落ちつきました。今は酸素濃縮器をつけて普通に歩けるようにまでなってきました。


この数ヶ月間、投薬のたびに、その彼のことが気がかりでした。

話したこともないけど、彼も通院できてるのだろうか?と、全く見かけなかったので、

もしかしたら、もう亡くなってしまったのかな、、と、生きることの無情さを感じていました。


ですが、昨日の通院日、

化学療法センターのベンチで呼ばれるのを待っていた所、どこかで見たことのある姿が!


ニット帽を被り、容姿は若干変わっていましたが、数ヶ月前に見かけた彼でした。

ああ、生きていたんだ!!と。

相変わらず松葉杖で歩くのも辛そうでしたが、受付に並ぶ姿を見て、生命の逞しさを感じ、私は1人遠くで涙ぐんでいました。


話したこともないし、向こうは私のことなんて全く知らないだろうけど、、


どんな状況であっても、他人が心配するほど人はやわじゃないんだなと感じました。


病院に行くと、様々な出逢いがあります。


必ず会うのが、主治医、薬剤師、看護師の方。

皆んな面白くて優しく、通院日に皆さんに会うのがとても楽しみです。


癌にならないと絶対出逢わなかったであろう方々とのご縁を、癌の再発をきっかけに結びつけてくれました。


癌さん、ありがとう。


趣味のこと

はじめましての挨拶記事の次は何を書こう?

このブログは、日記のような感じで、

日々気づいたことや想いを、

特にジャンルを固めずに書きたいなという気持ちで始めました。


今日は、私の趣味のことを書こうと思います。

私の趣味の一つがバイオリンを弾くことです😃


バイオリンって子供の頃からの英才教育をイメージされる方もいるかと(実際そういう面もあるのですが)。

まずクラシック音楽自体が敷居が高いものと思う方も多いのではないかと思います。


でも、私の場合は大人になりスタートしました。

社会人になって、仕事の忙しさで時間もなく、家と仕事の往復で貯金が増える一方。実家暮らしなのもあり、気づいたら貯金がかなり貯まっていました。


その時に、

このお金を何に使おう?

習い事を始めよう

子供の頃から習いたかったバイオリンを始めよう!


となり、始めることにしました。



高尚だと一般的に言われる芸事の一つであるバイオリン。

“凄い!””カッコいい!”

と好意的な意見の人と、

“えー、そんなもの習って下手なままで終わるのに何で始めるの?”

“いい大人なのにもうちょっと堅実なことにお金使ったら?”

という否定的な反応の人。

だいたい半々に分かれます😅


ちなみに私の場合、身内は後者の意見が大半で、バイオリンを始める時も良い目ではみられませんでした。


そしてバイオリンをはじめてから10年以上経った今も、それは変わりません。


ただ、批判の内容自体は決して間違いではなく、楽器というものは、弾いてる人は気持ちよく熱中できる対象であっても、それ以外の人には雑音又は騒音にしか聞こえないようで、その事は常に認識しておく必要があると思います。


風当たりが強かった上になかなか上達もしない、、趣味がバイオリンだと言うのが今でも恥ずかしくてなかなか言えません。

楽器が好きだとか、別の趣味を言ったりして誤魔化し、

なかなかはっきりと「バイオリンが好きだ」とは言えません。


ただ、周りからの批判が強い分、自分のバイオリンの音に対して謙虚な気持ちになれることには感謝ですね。物事の上達には冷静に客観視できる謙虚さが必要だと思いますし。


風当たりの強さに対してバランスを取るように承認欲が募る時もありましたが、趣味というものは基本的に自分と向き合い、行き着く先は人生の”道”とすることなのだろうと思います。


褒められることも貶されることも、他人の評価によって自分の心が揺れ動くことなく、ただ黙々と取り組み、己と向き合うこと。


趣味を極めようと日々淡々と練習を取り組むことは、技術や感性の向上にもつながると思いますし、

抽象度が上がるというか、他の物事への代用が効くような気がします。


バイオリンをやってることで、

他の道具の習得が妙に早くなったり、

音の質に対して敏感になったり、

さらにものごとに共通する真理というものに気付かされています。


習い始めて10数年経ちました。

飽き性の私にとっては、こんなにつづいたものは本当に珍しいことです。


これまでバイオリンによって

周りから批判を受けて卑屈になったり、なかなか思うような練習もできず上手くならず苦しんだ時もありました。ある先生には、上達が見込めないのにこれ以上やる意味あるのか?!(教えがいがない)、というニュアンスのことを言われた苦い思い出もあります😢


また、子供から習ってる人と大人から始めたものの成長の差を痛感させられ、沢山の恥をかき、バイオリンと向き合った日はドンよりしてる時が多く、、、楽しむもののはずの趣味が苦しみになっていました。


やめよう、こんなことをやってもお金と時間が削られていくだけだ、、と何度思ったことか。。


でも、思い返せば、

引っ越し先の知らない土地で寂しかった時、身内とうまくいかずに一人孤立してしまった時、大病で先が見えなくなった時、

バイオリンを弾いたり、バイオリンを通じて知り合った先生や仲間にいつも支えてもらいました。


思い出すと感謝の涙が溢れます。


バイオリンは私にとって最愛の友なのかもしれません。


はじめまして。

ブログはじめました!😃


はじめたのはいいけど、

一体何をメインに書いたらいいのか、、


仕事のことを書くか

趣味ことを書くか

病気のことを書くか


それとも

今まで悩んでたこと

お金のことを書くか

宗教やスピ系のことを書くか


若しくは、もっと身近のことに着目して

周りにいるアクの強い人たちを面白おかしく書くか。。。


😅😅💦



方向がボンヤリしたままですが、

とりあえず心の中をまとめる場として日々感じたことを書いていこうと思います。


最初に、ブログをはじめます!

と言っておきながら、ですが。

実は、ブログはこれがはじめてではありません。

趣味のことを書きはじめては辞め、心のことを書きはじめては飽き、、

そんなことを数年単位で繰り返してきました。


書くことがなくなったわけでもなく、

書きたい事は結構あったのですが、


書いてみた記事を時間を置いて客観的に読んでみると何か違和感を感じたり、

本当に書きたいことがあったけど、ブログで通じた人間関係が親密になってなかなか打ち明けにくくなったり、、

などです。


関係性が出来てしまった友達に、自分の思ってること全てを言ってしまうと、ちょっとヤバい人なんじゃないか?と思われて言えないことって結構あるんじゃないかと思います。


はじめからちょっと変わった人だとみられてたら、変わったことをしても、

まぁ、あの人だとあり得るよね、と、

周りも受け入れられるとは思いますが、

初対面から常識人という雰囲気で入ると、

何か変わったことを言った時に、エ!っという不穏な空気が流れてしまい、、余計なことがなかなか言えない😐


私にとってはその余計なことが大切なのに。

共有できる仲間もいますけどね。


話が少し脱線しましたが、

繕ったり大袈裟に書くこともなく、ありのままの自然体で書いていけたらいいなと思います😃