ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

趣味のこと

はじめましての挨拶記事の次は何を書こう?

このブログは、日記のような感じで、

日々気づいたことや想いを、

特にジャンルを固めずに書きたいなという気持ちで始めました。


今日は、私の趣味のことを書こうと思います。

私の趣味の一つがバイオリンを弾くことです😃


バイオリンって子供の頃からの英才教育をイメージされる方もいるかと(実際そういう面もあるのですが)。

まずクラシック音楽自体が敷居が高いものと思う方も多いのではないかと思います。


でも、私の場合は大人になりスタートしました。

社会人になって、仕事の忙しさで時間もなく、家と仕事の往復で貯金が増える一方。実家暮らしなのもあり、気づいたら貯金がかなり貯まっていました。


その時に、

このお金を何に使おう?

習い事を始めよう

子供の頃から習いたかったバイオリンを始めよう!


となり、始めることにしました。



高尚だと一般的に言われる芸事の一つであるバイオリン。

“凄い!””カッコいい!”

と好意的な意見の人と、

“えー、そんなもの習って下手なままで終わるのに何で始めるの?”

“いい大人なのにもうちょっと堅実なことにお金使ったら?”

という否定的な反応の人。

だいたい半々に分かれます😅


ちなみに私の場合、身内は後者の意見が大半で、バイオリンを始める時も良い目ではみられませんでした。


そしてバイオリンをはじめてから10年以上経った今も、それは変わりません。


ただ、批判の内容自体は決して間違いではなく、楽器というものは、弾いてる人は気持ちよく熱中できる対象であっても、それ以外の人には雑音又は騒音にしか聞こえないようで、その事は常に認識しておく必要があると思います。


風当たりが強かった上になかなか上達もしない、、趣味がバイオリンだと言うのが今でも恥ずかしくてなかなか言えません。

楽器が好きだとか、別の趣味を言ったりして誤魔化し、

なかなかはっきりと「バイオリンが好きだ」とは言えません。


ただ、周りからの批判が強い分、自分のバイオリンの音に対して謙虚な気持ちになれることには感謝ですね。物事の上達には冷静に客観視できる謙虚さが必要だと思いますし。


風当たりの強さに対してバランスを取るように承認欲が募る時もありましたが、趣味というものは基本的に自分と向き合い、行き着く先は人生の”道”とすることなのだろうと思います。


褒められることも貶されることも、他人の評価によって自分の心が揺れ動くことなく、ただ黙々と取り組み、己と向き合うこと。


趣味を極めようと日々淡々と練習を取り組むことは、技術や感性の向上にもつながると思いますし、

抽象度が上がるというか、他の物事への代用が効くような気がします。


バイオリンをやってることで、

他の道具の習得が妙に早くなったり、

音の質に対して敏感になったり、

さらにものごとに共通する真理というものに気付かされています。


習い始めて10数年経ちました。

飽き性の私にとっては、こんなにつづいたものは本当に珍しいことです。


これまでバイオリンによって

周りから批判を受けて卑屈になったり、なかなか思うような練習もできず上手くならず苦しんだ時もありました。ある先生には、上達が見込めないのにこれ以上やる意味あるのか?!(教えがいがない)、というニュアンスのことを言われた苦い思い出もあります😢


また、子供から習ってる人と大人から始めたものの成長の差を痛感させられ、沢山の恥をかき、バイオリンと向き合った日はドンよりしてる時が多く、、、楽しむもののはずの趣味が苦しみになっていました。


やめよう、こんなことをやってもお金と時間が削られていくだけだ、、と何度思ったことか。。


でも、思い返せば、

引っ越し先の知らない土地で寂しかった時、身内とうまくいかずに一人孤立してしまった時、大病で先が見えなくなった時、

バイオリンを弾いたり、バイオリンを通じて知り合った先生や仲間にいつも支えてもらいました。


思い出すと感謝の涙が溢れます。


バイオリンは私にとって最愛の友なのかもしれません。