ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

感謝より愛を

久々のブログ投稿です。

前回書いたのが、3月だったのでちょっと自分でもサボりすぎたかなと思います💦

 

その間、真理の扉を開くための本や方法に多く出逢えたように思います。

このブログでもいくつか紹介してますが、またおいおい、ブログに書いていけたらなと思います。

 

そして、私の再発癌についてですが、4月から新しい薬に変更し、とても癌には効いてたのですが、肺に問題のある私には薬の副作用が肺炎として強く出てしまい、とうとう耐えきれず7月頭に救急車で運ばれて3週間入院していました。

救急車で運ばれた時は、激しい呼吸困難で本当に死んでしまうかと思いました😅

一時は酸素濃度をいくら上げても酸素血中濃度が上がらず、人工心肺になるかもしれなかったのですがなんとか助かり、何故だか入院前より呼吸の状態だけみれば良くなってるようです(?)

 

さてさて、大病や事故から奇跡的に助かった方はよく『感謝』が大切だと言われます。大病や事故だけでなく、日頃から些細なことに感謝することは素晴らしいことだと思ってます。

 

今回入院して、私自身の体験しかり、大腸の手術を終えてやっとの思いでお通じが来た方や、肺に胸水が溜まっていた所を抜いてもらい呼吸と食事できるようになった方など、多くの患者さんと接して、健常者がいつも普通だと感じてることがいかに有難いことなのかと痛感させられました。

 

ただ、『感謝すること』が義務的になってしまったり、感謝の対象への執着を生んでしまうこととなると、ちょっと違うのではないかと思ってます。

 

『ありがとうの神様』で有名な小林正観さんの本を読み、一時期私も「ありがとう」を何度も唱えたことがありますが、

私のように宗教で感謝することが大事だと教えられ、ありがとうが義務的になってる人にとっての『感謝』は逆に感謝しないと悪いことが起きるという『恐怖』になる可能性もあり、

はたまた、私のように人の好き嫌いや出来事に対する良い悪いの区別をつけやすい人にとっての『感謝』は自分にとって都合の良いことだけに感謝をして、それを手放したくないと執着になったり、

都合の悪いものに対しては表面上で心にもない歪んだ形の感謝になってしまうのではないかなと思ったりします。

小林正観さんを批判してるわけではありません)

 

ブログをお休みしていたこの数ヶ月の間、癌などの大病から生還した方々のお話を読み漁っていたのですが、

その中のお二人、松野哲也先生や田坂広志先生の本やブログを読むと、現状から脱するにはゼロポイントフィールドに繋がることが重要なようで、『愛』や『運』がキーワードになるようです。

 

実はここ数年、とある心理メソッドをきっかけに『愛』とは何かずっと考えていたのですが、自分なりに出した答えが、『存在しているもの全て』『自他共にありのままを認めること』『自分や友人、家族、他人など枠にとらわれない、ボーダレスであること』です。

 

ここでいう『愛』は無償の愛(アガペ)のことで、『好意』でないことはもちろん、誰かへの『愛情』でもなく、自分への愛、親子の愛、家族や友人への愛と枠を限定せず、「これだけしてやったのに何も貰えない」といった相手への要求もない。

どんなに自分の都合に合わない人でも誰を責めることもなく、「あなたはあなた、私は私、それぞれの場所で生きていきましょう。また巡り会えたその時は共に歩みましょう。」

そんな感覚ではないかなと思います。

 

この『無償の愛』を学ぶのによい本を先日知り合いから紹介していただきました。

⚫︎『アミ 小さな宇宙人』(こちらは絶版して高額になってます😱

 

⚫︎『バーソロミュー』

です。

 

私は今まで自己否定が強く、その結果それを責める人たちや状況を引き寄せてしまっていたようなのですが、少しずつ「ありのままの自分でよかったんだ」と思えるようになってきていて、より自然な元の自分に戻ってきたような気がします。

 

世の中の人たちみんなが、何かしらの掟や価値観に縛られず、エゴに心を支配されることもなく、ありのままを発揮できたらどんなに幸せな世界になるだろうと感じます🍀