今ここに生きること
前回の記事で、脱毛を楽しみつつ、、、と書きましたが。。
あの後、今回の薬(エンハーツ)の副作用による脱毛と合わせて、前回の薬(カペシタビン)の副作用による頭皮(フケ)の剥がれが凄まじくなり、じっとしてるだけで毛髪とフケがデスクに散らばって、仕事に集中できない。。。
(汚い話ですみません😓)
もう剃っちゃえ!!( ゜▽ ゜*)
と、その日のうちにバリカンで一気に夫に剃ってもらいました。
スッキリ!!!爽快〜!!✨✨
です。
2年前も思ったのですが、病気や出家でもしない限り、坊主になる機会ってあまりないと思うんですよね。
こんなに気分良く楽ちんに過ごせるものだとは思いませんでした😳
シャンプー&リンスがいらないし、ドライヤーで乾かす必要もなく、コロコロで掃除する手間も省けてエコ🌏
他人の目が気にならないという人は是非一度試して欲しいほど、本当に爽快です。(特に夏は)
最近は素敵な医療用帽子も結構ありますし、見てるだけでも楽しいです😃
話は本題になりますが、
『今ここ』『今この一瞬を生きる』という言葉を聞くことが増えたなぁと感じます。
私は田坂広志さんの禅師のお話や、
その後は、瞑想やスピリチュアル関連からこの言葉を知りました。
この言葉の意味を今までは、”過去の苦しみ、未来の不安にとらわれずに今にだけ注目して生きよ!”というような、どこか無理に今に焦点を当てて生きることのように解釈していました。
でも、なかなか難しいと思うのです😓
特に過去にトラウマになるような事があった人や、今現在とても苦しんでる人は。
私はこの2年、感情を感じつくす瞑想を続ける中で、その結果、感情の揺れが少なくなったように思います。
だけど、やっぱり病気も抱えてるし、毎日の生活の中で人と話したり、ニュースなど何かの情報に触れたりすると、ちょっとした不安は出てくるなと感じてました。
ただ、こうした不安も、先日の記事でも書いたように、自分全てを丸ごとOKを出していくと、少しずつ感情が溶けて癒されていく感覚がして🕊️
そして、次第に、その時起きた過去の現象は、自分の中で作った制約や義務感があることに気づかせるための鏡やメッセージが散りばめられてたように自然と気付かされます💡
時には、ひらめきとして
時には、他人の言葉を借りて
時には、自然に起きる流れ(現象)として
まるで、生まれた時から、一心同体の存在として、私のそばで何かにずっと見守られてるかのようで、私自身が人生の中で成長しやすいように、
そして、心から望んでいる方向性に上手く乗れるようにと。
これが、宗教やスピリチュアルで言われる、神や愛、大いなるエネルギー的な存在なのでしょうか、それらが人生が豊かになるように誘導してくれているんだなと感じてます😌
私だけでなく、何か不思議な流れに助けられて、今があるという方は結構多いのではないでしょうか。
信仰していようがしていまいが、どんな人にもそのエネルギー的な存在は備わっているのだと思います。
だから、”今までも、そしてこれからも、自分と一心同体になって一緒に歩んできてくれた存在を心から信じ(つまりは自分を信じ)られるからこそ、安心し、委ねて、今この一瞬に信頼を持ち、大切に生きよう。”
という感覚でいます。
私の中で、これまでは、
“過去と未来を切り離して今を生きること=今ここ”
だったのが、
“過去にも未来にも神の愛(見えない自然の流れ)がある。これまでもそしてこれからも、自分で切り拓ける力が私にはあると、絶対的な信頼ができるからこそ、余計なことは1ミリも考える必要はなく、今この一瞬を精一杯生きる”
と変わったのは、私にとってとても大きな変化に思います☺️
人生を無機質で厳しいものだと捉えてたけど、この事に気づいてから、実は温かさや愛に溢れていたんだと、人生に色鮮やかさを感じています🌈
そうそう、話が変わりますが、ブログ名を
『ななころびやおき』から『こころのしずく』へ変更しました!
ブログを始めた当初は、私の人生って転んでばっかりだよなーって思っていましたが、最近は、それも大切な出来事だったように感じ、どうも違うなぁと、気持ちとのズレを感じて変更しました。
私自身、心に苦しみを抱えてる時、どうにかしようとして、ネット検索でヒットした色んな方々のブログ記事に励まされたり、癒されてきたんですよね☺️
長年積んでなかなか離れられなかった固定観念も、一滴ずつ垂らして溶けていくように、少しずつ少しずつ、変わってきたように思います。
草木を潤す雨水の雫(しずく)のように、
私の書いた記事が、私だけの気づきにならず、誰かの心にほんの少しでも癒しや人生の希望となれば幸いです🍀
これからも気づいたことなど書いていこうと思います。
【おまけ】
ここ最近よく飲んでるのが赤味噌スープ。
赤味噌と下記のだし&栄養スープの素をお湯に溶くと簡単、手軽に美味しいスープが完成🙌
食欲ない時や仕事中の飲み物にもとてもいいです☺️
どんな自分もOK👍
いきなり私の現在の病状報告になりますが、、
3月の末に新しい薬に変えたにもかかかわらず、先日の検査結果では、相変わらず腫瘍マーカーは爆上がり中です😆
実は今年の1月からずっと爆上がりしてるのですが、体調は不思議な事にこの数週間は幾分マシのような気がします🍀
ここ最近色々あったお陰で、今生きてることに喜びを感じ、あんまり深く考えず、来ることに対応し、一瞬一瞬を楽しもう!と言う方向に切り替えられました✨
それから、薬を変えたことで数日前から副作用の脱毛が始まりましたが、、まるで換毛期の犬やうさぎのようで🐕w
髪の毛をといてもといても大量の毛が出てくるため、かつらを作ったり縫い物ができそう。。 なんだか面白くなってきましたww
抜け毛で迷惑かけるかなーと思い、前回(2年前)はバリカンで一気に剃り、丸坊主にしましたが、今回は暫く脱毛を楽しみ、頭髪が4〜5割減ってきたら一気にバリカンで剃り、これからやって来る暑さを爽快に過ごそうと計画してます🏖️
今回はそんな中、気づいたことがありましたので、記事にしました。
気づいたこと、それは、どんな自分にもOKを出すことです。
今までは、甘えたい(甘やかされたい)自分、怒りたい自分、逃げたい自分、恥ずかしい自分、怖がりな自分、、
色んな自分にダメだ!とNGを出し、そこから生まれる感情(苦しみや悔しさ、恥など)にもNGを出してました。
だけど一旦は全部、丸ごとOK🙆♀️にして、どんな自分を癒し、愛することが大切だなと💕
もちろん、周りから言われた
ダメな自分
できない自分
も愛し、それを言われて傷ついた自分、他人に認められなかった自分も丸ごと愛する。
そして、病気になってしまった自分も愛する💞
まずは、どんな自分も愛し、認めて、満たすことが大切なんじゃないかと思いました☺️
そうすることで、押し込まれた感情が次々と溢れてくるんですよね。
北風と太陽の童話のイメージをしていただけるとわかると思います☀️
溢れてくればくるほど、それに比して、私はこんなに弱い人間だったのか、とか、こんなに酷い人間だったのかと、見たくなかった自分を突きつけられることもありますが、それも丸ごと愛する💗
そうすると、なんだか心身が緩むし、
なぜか自然と、他人の嫌な反応を理解できて自然と赦せる🕊️
そして、他人の今までの反応は、私の心の内の一部と共鳴して相手を通じて見せられていただけ。自分の中で制約してたこと、義務として戒めて許してなかったこと等を相手を通して教えてくれていたんだ!、と自然と感じられてきました🪞✨
(そして、心を打ち明けると、相手の反応も不思議と緩み、変わっていく事に気付かされます)
ただ、ここで大事だなと思うのが、
感情や欲に依存しすぎない、反芻し続けないということ。
愛というものが、ただ過去の自分を正当化して癒すだけの意味になっていると、その場にとどまり続ける可能性があるからです。
自然の愛は、自立した精神を促す側面もあるので、
自分を本当の意味で愛するには、”自分軸”という他人に振り回されない精神も必要だよね。
って、たまに顕在意識からアファメーションしておくのは大切かなと感じます。(あくまで自分のペースで無理なくゆるっと🐢)
それから、、誰もが表面的には見えないけど、苦しみを受け入れつつ成長し、生きていると思うのです。
自分1人の殻に閉じこもって、悲観的になりがちな時は、苦しんでるのは自分1人だけではないと、敢えて外に目を向けることも大切かなと。(これも、無理にではなく自分に余裕ができたら😌)
なので、そろそろ手放していいかなと思える過去の感情がでてきたら、”色々教えてくれてありがとう(もう自分で立ちあがれるよ)”と言って、愛を感じ温めて解消していくのがいいのかなと感じました✨
(あくまで少しずつ、澱んだ水に一滴一滴綺麗な水滴を入れて浄化するように💧✨)
そうしていくことで、相手の発言や反応に期待しない自分に、少しずつなれるんじゃないかと感じていますし、
過去や未来の苦しみにとらわれず、今この瞬間をいかに楽しめるように、少しずつなっていくのではないかと思います☺️
美味しい食べ物を食べれた幸せ
草木や風景を眺められる幸せ
家に住める幸せ
そして生きてる幸せ
逆に、苦しいと思われる出来事も、
今の状況からどんなことを教えてくれようとしてるのかな?
今の人間関係からどんなことを学べるのかな?
私の場合は、特に辛い感情が出た時は、紙に書いて頭を整理すると、スルスルと答えが出てきて解決しやすいなと感じてます📝
これが身についてくると、どんなことも自信になり、受け入れられてる状態になってるんじゃないかって思うし、
どんな事にも、起こる出来事に楽しみや学びを見出すのが、人生を豊かに生き、最期の瞬間に”いい人生だったな”って、思えるような気がします🎁✨
無理のない感謝も自然に溢れてきますしね🌷
今回の気づきは、あくまで今の自分の内から出たことなので、また明日になると違う気づきがやってくるかもしれません。
自分の気づきとして残すために書いてみました📖
自分の今の気持ちに向き合いながら、上記の記事を書いてると、
昨日、素敵だなーと思えるサイトに巡り逢いました👀✨
想いはリンクするのか、今の私にしっくりくるお話がいっぱいでした😊
真理を早く知りすぎる事、知ろうと焦ることは、かえって義務感や制約を自分の中に作ってしまい、自分を傷つける毒になってしまう可能性もあるなと自分の経験から感じてます。
私的に、このサイトは今まで学んできた事を整理できて、読んでいて温かく心に響くものを感じました☺️
だけど、内容が受け入れられない方もまだいらっしゃると思うので。
必要な方に必要な分だけ受け取られるといいなと願ってます💞
私の出した答え
先日、瞑想会を辞めてからというもの、自分の内側と向き合うことを続けています。
それは、知識や他人に言われた事になるべく捉われないように、過去の自分の体験を軸にしながら。
そして、今まで得たものを分別&取捨選択してる感じです😃
これまでは、エゴを無くすことばかり考えて瞑想していました。
瞑想と出逢うまでは、怒りや罪悪感の感情に苦しみ、それは身体にも影響を及ぼしてる感覚がありましたので、どうにかこの感情を無くせないか。と考えてたからです。
瞑想を始めた当初は、これまでの記事にも書いていたように、これでもか!とはち切れんばかりに抑え込んでいた感情がどんどん出ていき、スッキリしていくのを感じていました。
でも、ある地点を境に、心はスッキリしてるけど、病院の検査結果は良くならない。薬の効果で抑えてるだけのように感じ始めていました。
しまいには、新しい薬に変えても効かなくなり、やってもやってもどんどん悪化していく身体を見て、ひょっとして、エゴを無くそうすること自体が根本的にズレてるのでは?と思い始めていました。
そして、色々悩んだ結果、エゴも丸ごと愛してしまおう!と決意しました。
ここで一つネックになったのが、本能と自我(エゴ)とインナーチャイルド、それと感情や欲の関係性について。
これまでは、"欲や感情は無くしていくもの"
という考え方が根底にありました。
それは、宗教的な観念やモラルや思い込みもあるのですが、
そっちの方が生きるのも楽になるだろうなーという予測があったり、人間の生き方として美しく平和的であると思っていたからです。
それから、エゴ=感情ではなく、一体化してるように見えるだけで、実は違うのではないか?と、感じ始めている自分もいました。
そして、本能も自我もインナーチャイルドも、大きすぎる感情や欲に惑わされてしまって、方向性を見失い、皆んなでわちゃわちゃ騒ぎ立てて混乱してしまってるだけだということがだんだんわかってきました👀✨
感情に対して、
怒り×愛=愛
悲しみ×愛=愛
苦しみ×愛=愛
罪悪感×愛=愛
というように、全てを愛(ここでいう愛は、神の愛、無償の愛と呼ばれるもの)で包み込み、癒すイメージで瞑想をすることで、全てが愛に変わって解放されていくことを感じました。
感情は大きな愛へ変容を遂げるためにどれも必要だったんだ、、って。
感情や欲なんていらないもの、そして若干煩わしい存在だと、、ちょっと誤解してました😓
そして、感情や欲が愛へと成長すると、
⚫︎本能は、いのちを全うすること
⚫︎自我(エゴ)は、健全な自己愛を育むこと
⚫︎インナーチャイルドは、幼稚な精神から成熟した精神に自立すること
と、それぞれが本来の目的、使命に立ち返り、自然に愛や調和(神)に還っていくように感じました。
本能も自我もインナーチャイルドも、愛と調和という神や宇宙意識を目指し、力を合わせて成長していこう💫
ってことだったのか!とハッとしました。
私はこれまで、本能も自我もインナーチャイルドも、それに伴う感情も欲も、ずっと無くすべきものだとばかり思っていたけれど、
本当はどれも必要で、大切なもの。
愛とともに育てていくことだったんだということにようやく気付かされました☺️
エゴを無くそうとすると、エゴがある他人や自分をどこかで下に見てしまったり、否定してしまうって思うのです。
エゴを受け入れ、健全な自己愛を育てていくと、鏡になってる相手も自ずと受け入れられ、自分に必要な存在だったのだと相手や縁の奥深さに愛を感じられますしね。
そういえば、癌が治った方、長くうまく付き合ってる方も、
上記の視点で見ると、健全な自己愛を育んで、自分の心から望んだことを楽しんでる方が非常に多いように思います。人から言われたことを真に受けるのではなく、自分の体験を通して気づく大切さを学ばせていただいてます。
瞑想を2年続けてきた事も、決して無駄ではなかったですし、上記のことに体験的に気づくきっかけを与えてくださったので、貴重な時間でした。
また、これまでも真光然り、巡って来た様々な心理メソッドや自己啓発系など、自分にとって必要不可欠なものだった。
全ての経験があってこそ、ここまで導けたのだなと。今は感じています。
これまで出逢った方々に対しても、
『私の人生に必要不可欠だった。みんなみんな、本当にありがとう❤️』
と心の底からの感謝が湧き出るよう、これからも一歩一歩進んでいきたいと思います。
【おまけ】
甥の誕生日にプレゼントしたブックヌック。
夜、暗い部屋で点灯すると幻想的な空間が広がり、心が癒されるようです。
これからは、心の記事だけでなく、
植物やものづくりのことなども書いていけたらなと思ってます。
自愛を深める
突然ですが、、先日、約2年お世話になった瞑想会を辞めました。
凄く効果を感じていたので、明日の自分はどうなってるかな?この先5年続けたらどうなってるかな?と、、毎日何か克服できることに喜びを感じ、色々思い描いていました。
そんな私が、まさか自分でも辞めるとは思わなかったです。
これまで瞑想会を勧めたり、参加された方には申し訳ない想いがあり、辞める前にいち早くお伝えしました。なので、このブログでも早めに伝えないとなと思って、早めに書くことにしました。
辞めた理由ですが、感情が解消されて、整理されていく効果とは裏腹に、身体への効果があまり感じられなかったからです。
瞑想会にもう行かないと決断したのは今年の2月の半ば。去年の年末から度々身体の色んなところに激痛が走り、痛みや苦しみから、いっそのことこのまま死なないかなと思ってました。
そんな状況にも関わらず、仏教の『五蘊』で身体の反応はエゴだと言ってるしなーとか、辞めたらやっぱり色々起こるのかなあとか。生きることもサレンダー(手放すこと)すべきなんだろうかーとか、最終的に仕事も趣味も家族も何にも手放さないといけないんだなぁとか、、頭でごちゃごちゃ考えて、更に苦しんでいました🌀
そして、
もういいや!辞めちゃえ!!
エゴとか執着でも、思うがまま自由に生きよう!!( ゜∀ ゜)
と思いきって、辞めることにしました。
色々真に受けて、自分を苦しめていたんだ、、自分、こんなに無理してたんだって、辞めてから気づきました。
身体に激痛が走り、医師からもかなり危ない状況だと診断がおりてましたし。
休みたいという身体の声になんで今まで耳を傾けられなかったのだろう。。
ほんの些細な心身の欲求も、エゴだとか誤魔化してた私。
ここまで来て、よくやく自分の内側からの想いを第一にしようと、人生で始めて思えたかもしれません。
瞑想に対しても、病気や苦しみ、不幸から逃れたい恐怖の気持ちでやっていたなぁと今になっては思います。
瞑想会を辞める決意をして1ヶ月半、そして、完全に辞めて1週間。瞑想会の方々には、これまで食事を振る舞っていただいたり、無償で相談に乗ってもらったり、、とても感謝してます。続けていこうとおもっていたけど、限界でした。
辞めた後、クリスチャンの友達とお話しして、自然に会話を楽しめることが、心温まることなんだなって感じたり。
統合失調症や鬱が寛解した方と知り合えて、まずはエゴであっても自分を満たし、癒すことの大切さを感じたり。
例え誰かと別れても、自分が成長するために、自然の流れが、新たな出逢いを用意してくれてるんだなと感じました。
瞑想を2年続けてみて、
⚫︎巨大化していた怒りや憎しみがほとんどなくなった。
⚫︎夫からの言葉の暴力がなく、話し合えるようになった。
⚫︎がんに対しての恐怖が和らいだ。
⚫︎ずっと自分の生き方が間違ってると思ってたけど、そうでもないかなーって思えるようになった。
⚫︎感性やインスピレーションが鋭くなった。
様々な効果があったことを確かに感じます。
感情を感じ切ったり、ノートに書き出すのは、この二極の瞑想に参加してる方以外にも、世の中には効果を感じて実践されてる方も多いようで、
実際、最近知り合った、統合失調症や鬱が寛解した人も、色んな感情を感じ切って克服してきたと言ってました。
だけど、瞑想も本当は、自分の気が向いた時でいいんだと思います。無理は禁物です。
その代わり、エゴであっても、まずは自分に愛を注いで満たすこと。これからは『自己愛』を育む事にしました。
完全に思いつきの自己流です。
さっそくやってみて、大きな変化がありました。
夫や義理の家族に対して、心から感謝できたことです。
これまでは、されてきたことの恨みや憎しみがあり、その度に瞑想して感情は小さくなり、落ち着いてはいたものの、ふと過去のことがよぎるたびにフラットさが生まれてはまた苛立ち、、の繰り返し。
どこか無理に感謝しようとしてる状況に、他人を受け入れたいという心根と、相反する抑えきれない憎しみに、さらに苦しむ始末。
だけど、自分の中に自分で許してなかった制約はないか?と、探り、自分の意見や行動をわがままと捉え、相手に伝えることを許されなかったし、自分自身に対しても押し殺して許してなかった。。
それに気づき、自分への愛を注いでいくと、
夫や義理の家族の自分勝手さが、何にも頼らず、厳しい環境で、自分の力で生きようと努力してきた姿の裏返しだという事に気付かされ、
私に人生をかけて必要なものを教えてくれていたこと、そのメッセージだったことに気づきました。
その時はじめて、夫と結婚し、義理の家族と出逢って本当に心から感謝の涙が出てきました😭
今までのことは、自分の作り出した価値観やモラルの押し付け、ボタンの掛け違いから起こっていたのだろうなと。
お互いが言葉で伝える力と、違う価値観を受け入れる勇気が足りなかった、、ただそれだけだったんだと。
私は金銭面や物理的には、自立したように生きてきたつもりだけど、精神的には何か起きるたびに、誰かに話して気を紛らわせたり、何かの知識に頼ったり、恐怖に向き合えず、自分の内側で考える事を怠ってきましたしね。
でも、そんな自分がいたからこそ、色々学べた部分もあるので、いいかなとは思ってますが。
振り返ると、私は、家族関係のようになってた真光を辞めてからというもの、親切にしてくださった救世教(東方之光)や西式健康法、天風会を辞め、がんのボランティア団体も辞め、心理メソッドも色々ウロウロしては辞め、、
辞めてばっかりの、糸の切れたタコのような人生です。
どこの団体やグループも、方針に合わせられる人は楽しめてるようで、正直羨ましさもあり、逆に私はどこにいっても馴染めない。
というか、きっと私は宗教やスピリチュアル系、自己啓発系などの団体やグループは根本的に合わないんだと思います。
たぶん、このブログをずっと読んでくださってる人も、また同じことやってて、バッカだなーって思ってることでしょう(笑)
(なにせ、自分でもそう思ってるんで🤣)
今回の件で、そういう人生を引き起こしていた根本がわかり、同時に解消できたと思います。
読んでくださってる方、色々とごめんなさい。
何度も言いますが、どこの団体やグループも何にも悪くなく、合う人には合い、私には合わなかった。それだけです。
だけど、そんな私でも、すぐに何かのご縁を下さり、今までも生きてこれたこと、生かされてることに感謝です☺️
色んな団体やグループを辞め、お世話になった方々にはもうお会いすることもないかもしれないけど、、
これまで色々していただいたことに感謝し、離れていてもお互いの人生の場で、日々成長できたらいいなと願っています🍀
【おまけ】
昨年実った種から植え付けたパンジー達です。これからもりもり増えてくると思います。
こちらは、アップルミント。
冬の間、体調を崩してお世話ができず、茎も葉も土から上は全て枯れていたのですが、根っこがしっかりしてたのか、また芽が生えてきました🌱
例え見た目は枯れてしまっても、根がしっかりしてると、再生できるんだなって。
植物達は言葉を発しないけど、大きな勇気をくれます✨
楽しむこと
今年に入って、色んな所に激痛が走っては治りの繰り返しで、痛い時は歩くこともできず、休日はほぼ寝たきりになることが多いのですが、何故か仕事の日になるとピタッとなくなってちゃんと勤務できてることが不思議です。
少し前の話になりますが、3月11日に古澤巌さんのコルシカ音楽祭(夜の部)に行ってきました。
実は夫が、古澤巌さんの演奏スタイルが好きで、行ってみたいと言い出したのがきっかけで。私も古澤巌さんの演奏を生で聴いてみたいので意見が一致し、即チケットを購入しました🙌
最初は古澤巌さん目当てだったのですが、他の演奏家の方々も一人一人が本当に素晴らしくて。
知ってる曲のアレンジも中にはありましたが、知らない曲も多く、それでも新しい扉の奥に奏者に連れて行ってもらえたような、自然に難なく聴ける感覚で、凄く楽しめました。
バイオリン2台と、コントラバス、ピアノの4人の演奏がまるで楽器で楽しく会話をしてるような、調和を感じる演奏で、観客も引き込まれ、会場全体が一体化するような感覚がありました。
音楽って、演奏の良し悪しや努力で勝ち取るもののというイメージが頭の片隅に固着してましたが(特にクラシック音楽)、音楽ってその場にいる視聴者とともに時間を共有して楽しみ、そして日々の生活を活気づけるものでもあるんだなと、音楽っていいなー!って改めて感じ、今までの固定観念が消えていくような感覚がありました。
特にbertrand cervera(ベルトラン・セルベラ?)さんという、フランスのバイオリニストが会場を盛り上げるのが上手で、そのパフォーマンスに会場の子供達から大人まで笑っていて。音楽には、言語の隔てを超えた何かがあることを肌で感じさせられました。
全然知らない演奏家だったのですが、ハマってしまい、CDを先日ネットで探しまくって、海外からの発送便のものを購入しました。(1週間以上かかりました)
なんでこんなに素晴らしい演奏家なのに、日本ではあまり有名でないのか、、もっと世界にはこんな方たちが沢山いるんだろうなと、世界の広さを感じました。
CDには名曲の『シャコンヌ』が入っており、なんとバッハ作曲のものとヴィターリ作曲のものが両方。彼独自の抑揚感や音色と、他の様々な演奏家の伴奏が入ったアレンジになっています。聴いてると感動で涙がウルウルで、バイオリンにあまり興味のない夫も聴き入ってました。
他にもチャルダッシュやバッハ無伴奏パルティータ3番プレリュードなども入っており、
バイオリンや弦楽四重奏が好きな方にはおすすめしたいのですが、、、日本ではなかなか手に入れられないのが難点です😓
主催者本人が心から楽しんでないと、それが周りにも伝わるのか、その場も一体感が生まれない。
どちらが上とか下とか関係なく、相手が何を表現しようとしていて、相手は何を求めてるのか、キャッチできることの重要性を感じました。
ところで、最近、協力するってなんだろう?って自分に問うことが度々あって。
お互いが自立していて、相手が求めた時にお節介にならない程度に自分が出来ることをすること。
と聞きますが、うん、確かになーと、頭ではわかっているのですが、、なんだか味気なく不自然な感じがするなと思っていました。
過去の自分の出来事を振り返ると、私自身が協力し合えていたなと感じた瞬間がいくつかあって。
一つ目は、新興宗教にいた20代半ばの時。
教えられた教義に従って行動を律することが多かったし、グループを引っ張るリーダーのような役割をしていた(させられていた)こともあったのですが、グループの皆が面倒なのか、私が年下である事もありあまり協力も仰げず、いつも言われるがままに仕方なく1人で企画するということもしばしば。結果、企画もあまり上手くいかず、周りから色々言われて本当に疲れて嫌になってました。
だけどある時、バーベキュー&お泊まり会を同じ県内の若者と子供達に向けて企画した時があったのですが、その時は他の拠点から企画メンバーを募り、そのメンバーみんながやる気があって企画作りを楽しんでいて。何ヶ月も前から一緒に現地調査に行ったり、ゲームを考えたりして、会議も積極的に参加してくれ、企画者みんなが一致団結してる感じでした。
当日も、参加してくれた人達から、本当に楽しかったと感謝の言葉をいただきましたし、企画者が楽しそうだったのでいいなーと思ったという感想も。そして、何より嬉しかったのは、企画メンバーの1人が元々あまり家の外に出られないような方だったのですが、その方のお母さんから、”その企画をきっかけに性格が変わって、いつも楽しそうにしてる”と感謝の言葉を貰ったことでした。
私としては、企画を楽しんで一緒にしてくれたことが本当に有り難かったので、お礼を言いたいのはこっちの方という感じだったのですが。
その後、それをきっかけにかわからないですが、その女性は海外を転々と旅して、ドイツの方と結婚して、今ドイツに住まれてるようで。本当は凄く行動力のある持ち主だったのだなぁと。彼女の努力の素晴らしさに圧倒されています。
二つ目は、10年ほど前にハウスメーカーに勤めていた時。そこで出逢った4つ上の先輩が人を育てるのに大変優秀だなと感じる方で。私自身、建築の仕事は長いのですが、家のプランニングの仕事は初めてで、横について手取り足取り教えてくださりました。
プランを考える時はもちろん、お客さんと話する時も、私の至らない点は指摘しつつも良い部分を引き出してくれるようなそんな存在でした。
社内の設計以外の仕事でも、雪が降って暖房もない寒い工事現場で、土間の石を並べたり、何時間もかけて建築模型を一緒に作るのを手伝ってくださったり。本当に一緒に仕事できることが楽しく、これまで仕事を義務感でやってる私だったのですが、建築って楽しいなと心から思えたのはその先輩のお陰でもあります。
自分自身も日々進歩する感覚があったのですが、その先輩からも、成長が目まぐるしいと褒めて頂いた時は本当に嬉しくて。
いえいえ、先輩のお陰ですと心の底から思いました。
人を自立させるために、老子の言葉で『釣った魚を渡すのではなく、釣り方を教えよ』という格言がありますが、それ以上に『一緒になって釣りを楽しむこと』それこそ人を成長させるために大切なことではないかと、体感で学ばせてもらいました。
協力は、相手との相性もありますが、同じ目線に立ってお互いを理解して尊重し、自分自身が同じ課題に取り組むことを心から楽しんでないとできない事なんだなと、ふと過去の経験と今回の演奏会から再確認しました。
今は1人きりで在宅ワークの仕事ですが、最近、また仕事って楽しいなと思える瞬間が増えてきたように思います☺️対面できず、メールや電話でのやりとりですが、心が通ってることを感じているのかもしれません。
ほっと一息
まだまだ寒い日が続きますが、春の暖かさを感じられる日もちらほら増えてきたなと思います。
今日は心の話とは全く関係のない、個人事業主や確定申告のお話をしたいと思います。
と、その前に、前回のブログで少し触れましたが、個人事業主になった経緯を説明したいと思います。
昨年9月末、登録先の派遣会社から「10月で契約が切れてしまいますがどうしますか?」と、突然の電話が来ました。
本当は派遣先の別の部署に移してもらうという話が以前あったのですが、それは出来なくなったという話を契約が切れる1ヶ月前にされ。。(←そんなの法律的にありなのでしょうか?)
今の身体の状態では完全在宅でしか働けないし、仕事を辞めたくても、月々の治療費もあるから今は働かないといけない状態なので。
あまりの急な話にどうしようか色々考えてましたが、派遣先の働いてる会社から、よかったら個人事業主として今後も取引しませんか?という話を持ちかけてくださりました。
今の身体の状態で開業は大変だろうなと思ってましたが、背に腹は変えられないので思い切って開業することにしました。
それからというもの、開業のための勉強をスタート。
特に確定申告(青色申告)は厄介だと、昔から色んな方々に聴いていたけど、還付申告の医療費控除の申請は、年間の治療費が高いことから毎年やってるので慣れていて、雑所得(白色申告)についても一度齧っていたのでなんとかなるかなと半ば思ったのですが。。実際経験するとこんなにもややこしいものとは思いもしなかったです。
というわけで今日の記事は、開業の際に必要だったことをざっくりと書いていきたいと思います。
開業する前に、まずは税務署に『開業届』と青色申告を選択するための『青色申告承認申請書』、あと私の場合は企業との取引上インボイス登録が必要だったため『適格請求書事業者の登録申請書』、消費税申告の際に簡易的に算出した金額で提出できる『消費税簡易課税制度選択届出書』の4つを提出しました。
(インボイス登録事業者は令和8年まで2割特例を使えるため、簡易課税の届出は今は必要ないですけどね。)
本当はスマホのe-taxで届出したかったのですが、開業届だけはなぜかe-taxソフトというPCのダウンロード式のもの(スマホのe-taxとは別物です)しか今のところできないようで、、それに、わざわざマイナンバー用のカードリーダーがないと送信出来ないことも後で知り。。😱
e-taxソフトでせっかく届出書を作ったのですが、カードリーダーを持ってないため、税務署で一から申請書を手書きしました(苦笑
その後は、仕事の合間を見つけては、確定申告についての勉強に捻出してまして。
なにしろ、私はお金の計算がどんぶり勘定だし、お金にそもそも無頓着なため、細かい計算が苦手でw、早めに取り組んでました。
事業所得の人が行う青色申告と白色申告の違いついてざっくり説明すると、
所得税などの税金を算出する際、売上からある程度の金額が控除されるのが青色申告。控除されないのが白色申告です。
青色申告も2種類あって、保存する帳簿を簡易簿記で作成すると売上から10万円の控除され、複式簿記で作成すると売上から55万(書面提出)または65万(e-tax)控除されるというものです。
私は控除や色んなメリットを考慮して青色申告(複式簿記)を選ぶことにしました。(でも苦労するくらいなら、白色申告や青色申告(簡易簿記)からスタートでもよかったかなーと今は思います)
ここで一つ問題なのが、、確定申告用のソフトってまあまあ高いんですよね。5000円くらいのダウンロード式のソフトもありますが、有名な弥生会計やfreee、マネークラウドなど殆どは1年契約で1万円前後。
でも最初だし、フリーソフトでないかなーと思い、青色申告の勉強に下記の本を買いました。
記帳の仕方ついて簡単かつ的確に説明されてとても勉強になりますし、エクセルマクロで作られた青色申告用の会計ファイルをダウンロードできます。
(が、後々これが問題になることになるとは思いもしませんでした。)
この本のおかげで年内になんとか決算書まで大まかにできたぞー!っと思い、税務署にも色々わからない所を質問して解決したので安心しきっていたのですが。
確定申告の始まる数日前に、とあるチャットの質問で税理士の方のお話を聞いていた所、”なんでもかんでも事業主勘定にしていたら、税務署の検査があった時に説明がつかなくなる”と仰ってました。
通常、事業を行う場合、お金は事業と私個人(プライベート)を分けて考えるのが一般的で、その出入りを会計していくのですが、
この上記の本では、事業主としてのお金と私個人としてのお金を全てまとめて”事業主勘定”として計算される設定になっており、その点を指摘される可能性が高いというお話でした。
そして、簿記についての知識が学べないのもこの本の弱点だと思いました。
(でもそれ以外はとても簡潔で良い本なので、はじめて個人事業主になる方にはとてもお勧めです)
ちなみに税務署は、こちらの疑問に答えてくれるだけで、何を質問して良いのかすらわからない初心者は、お金を払って商工会や青色申告会に入って一から学ぶのが基本らしく、しかも、こんな確定申告間近の忙しい時期になったらどこも相談の予約一杯😱
税理士に申告書作成をお願いすると10万円前後かかりますし。。
なので、直前になって自分で簿記を勉強することにしました。
借方、貸方の考え方など、簿記に対して全く無知の私にとっては結構難しく、時間がない焦りとで頭が混乱しまくってました。
でも、エクセルBという無料の青色申告用ソフトを偶然ネットで発見し、
有難いことにこのマニュアルを購入すると(2000円程度)、簡単な簿記についての説明もされて、なんとか昨日、所得税申告(青色申告)と消費税申告をe-taxで送信できました。
個人事業主になった初年度に注意することは、
⚫︎上記に書いた必要な届出を定められた期日内に税務署に提出すること
⚫︎日頃から確定申告ソフトに丁寧に記帳して決算書や減価償却表を作成し、期日までに提出すること
⚫︎以前勤めていた会社の源泉徴収表や不動産や株などの収入証明、医療費控除や住宅ローン控除、ふるさと納税控除のための領収書、
その年納めた国民年金や国民健康保険料、地震火災保険料などの証明書を保管し、確定申告で忘れずに全て入力すること
(この点は個人事業主以外の方にも関係しますが)
⚫︎インボイスに登録してる人は消費税申告も期日までに忘れないこと
だと思いました。あと、FP3級や簿記3級程度の知識があると心強いですね。
年末からこの数ヶ月、毎日学ぶことも多くて大変だったためか、腫瘍マーカーも爆上がりしましたがw、取り敢えずひと段落してよかったなと思います。
余談ですが、今回お世話になったエクセルBというソフトですが、世の中には優れたフリーソフトが沢山あることに改めて気付かされました。
私のこれまで使ったことがあるものの中で、とても無料とは思えないソフトがあるのですが、
⚫︎動画作成ソフト『AviUtl』
⚫︎CADソフト『Jw-cad』
どれも各々の業界では有名なソフトです。
会社勤めしていた時は何気なく使っていたソフトも、こうして何もかも自分でお金を払って選択しないといけない立場になった時に、フリーソフトはありがたいなと思います。
これからはAIが発達してきて、プログラマーという仕事も楽になってくるとは思いますが、陰ながら人々の作業を効率よく楽にするために、日々切磋琢磨してきてくださっていることがとても有り難く感じました。
今年も1ヶ月が過ぎ。。
年が明けたと思ったら、あっという間にもう1ヶ月が過ぎましたね。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
実は大晦日から体調を崩してまして、腹痛と咳発作がなかなか治らず、年明けから夜間診療に行ったり、がんセンターに行ったりと、色んな病院を奔走してましたが、結局は原因不明で。
1月の半分のほとんどを寝て過ごしてました。
なので、正月も誕生日も、そんなのあったっけ?という感じで、こんなのは人生初めてかもしれません。
今は腹痛はかなり治りましたが、咳発作は相変わらず出ていて、今も声が枯れて、話すのは5〜10分が限度。なので1日の大半を無口で過ごしてます(笑)
ただ、年明けのがんセンターの診断で、どうやら肝臓に転移してるがんが大きくなっており、すぐに薬を変更することになりました。
でも、瞑想してるからなのか、もう体調悪化でがんに慣れたからなのか、CTを見てがんが大きくなっていたことに少しも動揺しない自分に驚いてました。
一年前なんて、腫瘍マーカーかちょっと上がっただけで、めちゃくちゃビビってたのに。。
それから話がそれて仕事の話になりますが、実は、昨年11月から個人事業主になりました。(経緯は後々ブログに書くかもしれません)個人事業主になったからと言って、これまでの仕事の内容や業務時間に変更はないものの、お金のやり取りが結構面倒臭くて。
1月は体調不良で結構仕事で休みをいただいたこともあり、先方としては休みを取った分どこかで別の日働くなどして巻き返して欲しいようでしたが、今はまだ体調に波があるため、仕方なく年末に提出した見積額から減額して支払ってもらうことにしました。
(予め決めた外注の見積額の変更は、会社全体の方針としてあまりして欲しくないとのことで)
今後、仕事を続けられるか自信がなく、どうしようかなと思いましたが、今は治療費用も稼がないといけないし、冷静に考えるとこんなに体調も考慮してくれて自宅で働ける仕事なんてないよなーと思い。日々体調と相談しながら今は乗り切るしかないなーという感じです。
勝手な思い込みかもしれませんが、フリーランスになってから癌や大きな病気になる人をよく話で聞くのですが、自分が実際に個人事業主になってから、あり得る話かもなーと感じたりします。
私は元々お金を稼ぐことには無頓着な方ですし、子供もいないから大してお金を稼ぐ必要性を感じないのですが、特にこの2点がある人は身体を痛めてることに気づかないくらい頑張ってしまうんじゃないかなと思います。
あと、会社員の時とは違い、いつ契約を切られるかわからない危機感もあるし、保険や年金などの社会保障が手薄なのでなかなか休めない、確定申告も自分でしないといけないので経理や税金のことも理解してないと後々困るなど、切迫感を感じやすいでしょうし💦
瞑想で自己内観してる人は、すぐ超越して冷静になれるので大したことではないですけどね。
話を戻しますが、年末年始の体調不良以来、よく心の中でこだまするように響いている言葉があります。
以前の記事でも取り上げた、田坂広志さんがいつ命が尽きるかわからない状態の時に禅師からいただいた言葉
『過去はない。未来もない。あるのは永遠に続く”今”だけだ。今を生きろ!今を生き切れ!』
今このかけがえのない一瞬が永遠の如く感じられるよう、今年も命ある限り生き切りたいと思います😃