ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

宗教やスピリチュアルにハマってた理由

先日、宗教の思い出の記事を書いたからなのか、なぜか1日の訪問者がゼロから10くらいに増えています(笑)


https://hachikana.hatenablog.com/entry/2022/07/24/190000?_ga=2.205034576.133909797.1658703044-48196267.1655569109


真光のモーレツな信者からの抗議の目線なのか、それとも真光を辞めたいけどなかなか辞められない方なのか、もしくは既に辞めた方で心残りがある方なのか、、又は宗教マニアの方?😅


何にしても興味があるから検索されるのだろうと思います。

でもですね、、真光のことは、実はもう書くネタが殆どないのです。

(思い出や宗教の話の繋がりとして触れるくらいになると思います)

ともあれ、このブログは訪問者を増やすとかアフェリエイトを増やすとか何にも目指してなくて、私は自分の思うことをマイペースに書いていけたらなぁと思います。


私は今も宗教やスピリチュアルを信じてないわけではないですが、これ以上何にも知らなくてもいいし深入りする必要もないかなと思ってます。生きるのにムダな知識はもう欲しくないので。


でも以前の真光に入っていた時や辞めたばかりの私は違ってました。


病気になったり、ストレスで心が弱ったりする時は誰でもありますが、そういう時はスピリチュアルや占いが気になったりすることもあるかと思います。


ただ、ハマる人とハマらない人がいるのは、

自己肯定感の有無や現実逃避の有無が関係してるのではないかと思ってます。

(ついでにいうと、癌などの大きな病気になるのもこの辺りの心の問題が関係し、原因となるストレスに変わるようです)


具体的に例を挙げると、私と実弟。弟も母に連れられて小さい頃に真光に行ってましたが、小学生になる頃には参拝することを拒否してました。


思春期ごろの私は、自己肯定する力が皆無で、自分のマイナスな面が許せなかったし(自己否定)、他人から何か否定されると、人に認められたい!人に認められるようになるには、優しく思いやりのある人間でないと!人から尊敬されたい!そのためには他の人にない特別な力がほしい!

という気持ちがあり、宗教に答えを求めていました。


それから、自分で解決できない悩みを目に見えないものに頼ろうとしていたため、目の前の現実から逃げていました。。。


一方弟は、馬鹿にされてもそこまで深くは傷付かず、自分以上の何かを目指していない。(特に目標もない)親に認められたいという願望も薄い。

辛いことが起きても、あまり深く考えず出来ることを精一杯やって何故かいつの間にか乗り切っている。

そんな感じで、子供の頃から何かを取得してほめられようとか、無理して何かを目指すことを全くしない、その日楽しければいい人でした。(良いのか悪いのかわかりませんが)


なので、厳しい言い方をすれば、何かに騙された!と思う方にも何かしらの要因があると思っています。


この現実世界に生きている以上、行動したり思ってることを実行しないと、結果が表れないのは当たり前で、耳障りのいいふわふわしたことを伝えている宗教やスピリチュアルの話を聞いて、気持ちだけが楽になってもそれは一瞬のことで、解決策を実行しない限り現実は1㍉も変わらない。

なので、私は宗教やスピリチュアルは信じていても、現実に生きる、ほどほど現実主義者でいたいなと思ってます。


(もちろん、スピリチュアルや占いの世界でも科学的根拠や裏付けを探して理論的に理解し、相談者に提供しようと切磋琢磨されてる方もいらっしゃいます。そういう方は相談者自身の心が自立しないと前に進まないことを知っているため、耳障りのいい理想論ばかり語っていないはずです。)


でも、科学的な裏付けのない地に足がついてない宗教やスピリチュアルも、それを職業にご飯を食べて家族を養ってる方もいれば、一瞬だとしても気持ちが救われている信者もいるので、互いに満足してるならそれはそれでいいのかなとも思ってます。


もちろん以前の私が助けられていたように、真光に対しても同じような気持ちです。

何かおかしい、、と気がついたら周りに何を言われようと距離をおいたり辞めればいいわけですし。