ななころびやおき

何度ころんでも自然と立ち直ってる。生きるってきっとそんなもんだ。

馬鹿にされた悔しさを感謝に

私は結構劣等感が強いため、特に好きなこと、頑張ってることに対して馬鹿にされた体験は、後まで引きずる事が多く、悔しさで怒りの感情で我を失い復讐心にかられることがここ最近までありました。


ディマティーニ メソッドのファシリテーターである岩田大輔さんのセッションで教えていただいた方法でワークを行ってみました。


そこで”馬鹿にされること”について感じたことですが、


●自分がやったことのなくて難しさがわからないことだからこそ、人より劣っている点を軽々しく馬鹿にできてしまう。


●周りが見えずに頑張りすぎ、柔軟性を失って視野が狭くなったり、一つのことにとらわれすぎたりしてると、他人から馬鹿にされやすい。


●馬鹿にする側にも、相手に伝えたい叶わぬ言い分がある。(話を聞いて欲しい、自分をもっと評価して欲しいなど)


ということが見えてきました。



そして、馬鹿にされるメリットとして、


自分は他人から褒めて欲しい、高く評価して欲しいという裏のメッセージがあることに気づける。


自分が思ってる以上に自分はできた存在ではない。そのことに気付かされ、少し謙虚になれる。


冗談が通じないなど、自分の視野が狭くなってるのではないか?ということに気づくのためのメッセージ。


相手が求めていること、自分に足りていない他人への配慮に気づける。


です。


馬鹿にする側もされる側も、等身大の自分より高く評価してほしいという心の表れから、そういう行動をしたりされたりしてしまうのだということに気付かされました。

まさに、鏡の法則ですね。


様々な気づきを与えてくれた、”馬鹿にされた経験”に感謝です。


また、誰かに馬鹿にされたとしても、感情的にならずに好きなことに対してコツコツやり続けたいと思います。

幸せってなんだろう?

幸せってなんだろう?

どうあったら幸せになれるとか数年前はよく考えてました。

 

もっと容姿が綺麗であれば。

もっと◯◯が上手くなりたい。

もっとお金があればなぁ。。

もっと人に好かれたい。。

 

なんて。

 

そういえば、以前、私が手かざし系新興宗教の信者だったとき、幸福とは何か?という話をよく聞かされていました。

その宗教での講義では、悩みの種になる要素は大きく分けて3つあり、

 

人間関係

お金

健康

 

だそうです。

これは宗教をやめた今も案外頷ける話だなと思います。

実際、信者の中には家庭内暴力や生活するお金にすら困ってきた人、癌や難病で困ってる人が結構いて、それが信者になって不思議と解消されることで(解消されているように見えて)宗教に入ったお陰で幸せになれたと思ってる方がかなりの数いらっしゃいました。

(そういう方ほど盲信的に宗教を続けていましたが。)

 

ただ、人の欲望は果てしない。。

何かに縋っていたり依存したりしてると、自分で判断できない人になってしまう。

それから、隣の芝が青く見えているような他人との比較の上で幸か不幸かを判断する人。これらの方々は、永遠に真の幸福に気づけず、満たされることがないのを知りました。

 

なぜなら、私がその状態でしたので。

 

たしかに、私は子供の頃から病気になりやすい体質でしたが、

家族もいるし、仕事もあり、生活に困っているわけでは無い。

人間関係で嫌がらせされることはあったけど、良くしてくれる方々もいることには目を向けられなかった。

こんなに頑張ってるのに、他人より能力がない、望む仕事をもらえない、他人に評価されない、そんな自分を愛せない。

そんな事に悩んでばかりで、生きていること、命あることにまず感謝ができていなかったです。

 

癌が肺に再発し、

呼吸が苦しく、身体も激痛で、寝てることも

辛い状況になり、このまま眠ったら死ぬかもしれない。。

 

そんな状況になり、

ようやく支えてくれる家族や、医療を受けられるだけの収入もあることに目を向けられるようになり、ないものねだりではなく、今あるものやいのちの有り難みを理解できるようになりました。

 

人間関係もお金も健康も、生きているからこそ満足や不満を感じられるし、悩むことができます。

 

多くの宗教やスピリチュアルでは、生まれ変わりは絶対だと述べてますが、そんなこと確証も得られるわけではありません。この世に生まれていのちがあり自分の意志をもてることは、非常に尊いことだと思います。

 

いのちあることの重要性を身をもって知れたこれまでの出来事に感謝です。

善と悪

私は乳がんが判明して丸6年、肺に再発して丸3年になります。


以前、癌の原因は何か?というネットの記事を目にした時、ストレス、食事や運動不足などの生活習慣、、それを押し退けて”運”というのが堂々の一位でした。


たしかに、病気になること以外にもこの両親のもとに生まれ、生まれた時からの能力、事故に遭ったりいつ亡くなるかというのも全て”運”であり”運命”なのかもしれませんね。


私は最初は、食事が原因だと思ってたのですが、再発してしまった時、なんでだろう?と

考えたことがありました。


ふと思い起こすと、そういえば、私、子供の頃からずっと病気がちだったよなーと思い、

『病気になりやすい 特徴』と検索をかけました。


すると、「自分の人生を生きていないとき」人は病気になる


という心理技術講師の梯谷幸司氏の記事が引っかかりました。その記事には癌になりやすい人はが原因とのこと。

それ以来、心と病の相関性が気になり、今に至ります。


丁度その時、梯谷氏のセミナーを受講された、がんの辞典の小澤康敏さんとご縁があり、セッションを何度か受ける運びになりました。


http://www.gan-jiten.com


小澤さんは、寛解した癌患者や癌を研究してる医師の取材をされてる方で、寛解する方の特徴を長年に渡り探ってこられた方です。また、薬品メーカーに勤められてたこともあり、薬や漢方に詳しいので、薬のこともよく相談してました。


そのセッションの中で、ある時、

「全ての人や出来事に、善悪、白黒をつけてない?」

と仰いました。


そう、私は、全ての人や出来事を、良い悪いで判断していたのです。

見事に言い当てられたなぁと思いました。


いつの頃からなのか、、

親の影響?

子供の頃から教え込まれた宗教の影響?


善悪に分けている

それに気づいたのはよいけど、

どう処理したら、善悪で区別することなくありのままで見れるのかわからず、

そしてさらに、物事を善悪で見てる私も悪いものだと、それ自体にも善悪をつけてしまうようになり、さらには私の性格にも善悪を、、その時はどうしたら良いのかわからず苦しみました。


その後もいろんな方を訪ねて、心と病の相関性を学んできたわけですが、


“良い、悪いは自分の都合で決めた解釈である。”


ということを知りました。


例えば、

益虫と害虫の区分けも、人間の都合で決めた解釈であって、彼らにとっては生きるためにやってる事に変わりない。


また、時代背景や文化の違いによって、殺人や他の動物を殺めることも、犯罪にもなれば英雄にもなる。


本当に善悪というのは、価値基準の違いで変わってしまう不確定なものだと知りました。


私の身内には、あり得ない、許せない行動をする(と感じていた)人がたくさんいたのですが、

それも、私の目で判断した基準であって、その人にとっては正しいと思ってやっていたことなのかもしれません。


俯瞰して客観的な目で見るように努力したり、相手の行動が私にとってどんなメリットがあるか見れるようになってから、

許せない!と思っていた他人の行動も、

私の人生にこんなにありがたいことをもたらしてくれていたんだ。。と感謝に変わり、少しずつ、他人の不快な行動がなんとも感じなくなってきました。


世の中には色んな方がいます。

あの人は良い人だよー!

と言われる人にもダークな一面がある時垣間見えたり、

あいつは自分勝手で最低だー!

と噂される人でも、実はしっかりと自立した一面の裏返しだったり。


同じ人でもいろんな側面をもっているはずなのですが、自分の都合で自分の観念に引っかかるものしか見えなくなり、見え方が偏り、狭くなっていってしまう。そして不都合な人を避けがちになってしまうのです。


自然界と同じように人間の世界も、多様性があるからこそバランスを保てるのだろうし、あらゆる変化にも対応できる力を得られるんだろうと思います。


いつまでも多角的な見方を心がけていきたいと思います。


近ごろの日本

コロナが原因なのか、自分が病気のため思考が偏ってるのか、最近の日本は悲しいニュースが多いように感じます。

コロナによる障害や困窮、芸能人の自殺、そして昨日の安倍元総理の死。

日本のために尽くしてきた方が、どこの誰だかわからない人に、しかも護衛がいたにも関わらず銃撃される。

あまりに悲しすぎる最期でした。日本の元気を一気に奪うような大きな出来事だったと思います。


犯人に対して許せない気持ちはあります。

遺族の気持ちやこれまでの功績を考えると、単なる死刑では気が晴れない、、そんなに自作するほど銃が好きなら、戦地の最前線に出向いて死ぬまで働いてもらうとか、飲まず食わずで過酷労働を押しつける刑を作るとか、そんなものがあってもいいのではないかと思いました。

今回の事件で、群衆は多くの恨みを犯人や護衛に向けたことだろうと思います。


ただ、最近学んでる心理学ではあらゆる

出来事に意味があると言われてます。

この出来事にはどういう意味(メッセージ性)があるのだろう?と思いました。


自殺するにしても、誰かを殺害するにしても、自分の殻に閉じこもって主観に偏りすぎ、極端な思考になった結果、無意味にいのちを断つ手段に出てしまうのではないかと思います。


また、人生において大病に犯されたり事故が起きるなどの大きな出来事が起きる理由は、何かしらの感情をずっと抱え込み、中立的なマインド(ニュートラル)から大きく離れてしまうので、元の中心軸に戻そうとする自然現象なのだそうです。


国を代表した元総理が亡くなるということは、日本の国全体が極端な思考になってることへの警告のような気がしました。


コロナが流行りはじめた時も、陰謀論がもてはやされたり、マスクやワクチンを極端に反対する人。また逆も然り。

SNSでは攻撃的な発言がもてはやされ、自分の主張に近いものにしか目がいかず、逆の意見を受け入れられない。など。


他国の傾向はどうなのかわかりませんが、何か特定の思想に盲信するのは、ヒトラー政権時代の支持者や、新興宗教の熱狂的な信者であることと大差がないように思います。


また、今回の犯人についても、子供の頃に親や周囲から愛された記憶があれば、どこかで殺めることを踏みとどまれたはず。嫌な面ばかりに目が行き、社会からの被害者だという気持ちがそうさせてしまったのではないかと思います。


安倍さんの死を無駄にしないためにも、このような悲惨な出来事をどうしたら防げるか、バランスに欠けた偏見の目で世の中を見ていないか、俯瞰した目線を持ち、何かに気づく必要があると思います。

もちろん自戒の意をこめて。


国を愛し、多くの功績を残した安倍元総理のご冥福をお祈りいたします。

コメントがバズった!

三日前、とあるYouTubeの動画になんとなくコメントしたものが、反響があったらしく、気づいたら800、900、、といいね👍がどんどん増えていました。。

またコメントに対するコメントも20以上と増え続けて、親切にコメントくださってる方に申し訳ないのですが、区切りをつけてそのコメントへの返事を1つにまとめ、キリがないのでそれ以降はもう確認しないことにしました。

YouTubeで動画を出したり、SNSで何か伝えたり、とネット上に載せたことが凄い反響になることをネットスラングでバズるというそうです。

私の場合、数が大したことないのでバズるには該当しないかもしれません。(バズるとは1万を超えることもあるのだとか)

自分の書いたコメントが、思った以上に世の中に反響があるのは嬉しい反面、怖いなぁと感じてきました。(しかも、そんなことに慣れてないので😅)


コメントは正直に誠実に書きましたが、

仮に自分の顔や名前が晒される場で、自分を大きく見せるために見栄や嘘を吐いてしまった場合、その後どう対応するのでしょう?

有名になる人の中には、そういう方もいらっしゃるのではないかと思います。

自分でない自分を作り上げてしまい、そのキャラクターで名が通ってしまった場合は、途中からキャラクターを変更するにはそれなりの代償も必要だし、本来の自分と世間の目とのギャップに苦しむことになりかねないかもしれません。


それから、コメントには、必ず批判がつきもののはずですが、今回のは、見た感じ一つもなくて不思議でした。

もしかしたら動画作成者側で批判コメントは消してる下さってるのかもしれないです。

また、時を同じくして、久しい2人の方から連絡がきました。どちらも病気を通じて知り合った私にとっては恩師のような方。不思議と何かの縁を感じました。


スピリチュアルなどでは、その時自分に必要な言葉を誰かを言葉を通じていただけると聞きます。

見えない力から、今は病気に捉われず、前を向いて自分の好きなことを貫いて生きてほしいという願いが込められてるのか。。

有難い限りです。




今日は七夕

今日は七夕ですね。

願い事は考えましたか?


七夕は、織姫と彦星が天の川を渡って会える唯一の日ですが、

天体では、織姫(ベガ)と彦星(アルタイル)はとてつもなく遠く離れてるのだそうです。

https://towatowa.net/orihime-hikoboshi/

朝から星の勉強をして少し賢くなりました。


不安定な天候がここの所続いてますが、今年は織姫と彦星は会えるのでしょうか?

また天の川は見えるのでしょうか?


ロマンチックですねー✨


私の好きな漫画の『コジコジ』でも七夕が取り上げられた回があります。

https://youtu.be/ji5R_fZDJ1s


コジコジはみんなが元気であることを願ってました。

老若男女、どんな状況にある人も、それぞれがめいいっぱい謳歌できる一年でありますように、祈ってます😃


バイオリニストの王の魅力

歴代のバイオリニストの中で最も素晴らしいと言われている演奏家に、ヤシャ・ハイフェッツがいらっしゃいます。


若い頃の人前で弾いた演奏があまりにも素晴らしく、それを聴いていた作曲家兼バイオリニストとして有名なフリッツ・クライスラーと同じくバイオリニストのエフレム・ジンバリストに「我々のこのバイオリンを今すぐ叩き割った方が良さそうだ(彼の演奏より随分劣っていて我々は必要ないという意味)」

と言わせたほど。


また、ほとんどのバイオリニストが劣等感からハイフェッツ病にかかったのだとか。(お笑いで言うとダウンタウン病みたいなもの)


演奏を聴くと、あまりに速いパッセージでも音程の狂いなく正確に弾いてらっしゃるので素晴らしいです。


が!


わたしには、その良さが全然分かりませんでした。


なぜなら、音質がキンキンしてる感じがするし、ストイックさゆえなのか、演奏にあまり情緒を感じない。特に柔らかい音質を好む人にとっては、

一 体  ど      

と思う人もきっといるのではないかと、、、、

(バイオリニストの王に向かって、弾けもしない癖に失礼ですね)


でも、最近『ブルッフ バイオリン協奏曲一番』のハイフェッツの演奏を聴き、あまりに素晴らしくて聞き惚れてしまいました。。

https://youtu.be/ITRj13YFV1I


特に、1楽章の部分では4:23〜のソロ演奏の素早く正確な半音階からのアルペジオで緊張感を持たせ、トゥッティ(全体演奏)の壮大さにしっかり繋げる所や、

3楽章の15:52〜の出だしの音の正確かつ歯切れの良さ。

ソロ奏者として全面に出すところは出し、

全体にバトンを渡したり受け取ったりして、全体もしっかり曲の雰囲気を壮大に演出している。


「オーケストラのみんなついてこいよ!」

「観客にいい演奏(音楽)を届けようぜ!」


と曲から感じ取れます。


何度聞いてもその美しさに感動してため息が出るほど。

ハイフェッツの演奏は、私なりに一言で表すと、『流暢』だと思います。

言葉でいうと、ネイティブな発音でかつ、その国の文化を知り尽くしていて、ユーモアや間を交えながらの奥行きを感じる会話。。


バイオリニストの王はやっぱり王だった。

と感じました。

きっと、私の芸術性を感じ取る力が足りていなかっただけのこと、だったのかもしれません。


これまでは、音質重視思考でオイストラフやナタンミルシティンが好きだったのですが(もちろん今も)、ハイフェッツの良さにも気づき、後世に聴き継がれるバイオリニストはやっぱり素晴らしいのだと改めて気付かされました。

これからも色んな方の演奏を聴いていこうと思います。